【2003年】ITからまさかの「お惣菜屋」 有限会社スダックス誕生秘話

2 / 4 ページ

中目黒の居酒屋で、
「すだっち、楽天こない?ミッキーの下で働きなよ。孫さんの次はミッキーでいいじゃん」
「え?今更、友達の会社手伝うの?COOL社?あそこはヤバイっしょ、辞めたほうがいいよ」
なんてことを言われた。

そんな想い出の居酒屋を通り過ぎて、まさか、居酒屋で会話されていたその楽天本社に日参し続ける日が来るとは思いもしなかった。しかも、その話題に出ていたCOOL社を売却するというM&Aの案件で。

============

企業売却のスキームはとても複雑だった。
会社のすべてを売却するのではなく、メインのコミュニティ事業(COOL)のみを売却し、人員は数名だけついていくというもので、「会社分割」をするものだった。しかも、現金ではなく「株式交換」で売却するということで、会社分割と株式交換を同時に行うという、今考えるとその後誰もやってないだろあれ、というスキームだった。

そんな実務は全くやったことがないので、本屋にいって、「会社分割」と「株式交換M&A」とか書いてある本を5冊ぐらい買ってもらった。また弊社の顧問弁護士は「街の弁護士」みたいなところに安く頼んでいて、企業法務に精通している感じではなかったので全然頼れなかった。

公告やら債権者通知やら、やるべき実務やスケジュールが決まっていて、株主さんへの相談やら書類作成やらエクセルでスケジュール表を作ったらタスクの列が300個ぐらいになってこれを1ヶ月ぐらいでやらなければならなかった。そもそも売値の合意交渉もしなければならず、株主もVCさんが10社ぐらい入っていたので、各社との調整も動かなればならなかった。また、そもそも売って終わりじゃなくて、会社分割での新会社スタートの準備もあるしね。(社名変更とかもろもろ変更タスクも多く。。)楽天さんは上場企業だったため、IR部門とも開示情報でのやりとりが必要だったし、サーバー移管とかで技術部門とも事前調整が必要だったし、従業員のストックオプション放棄とかもあったし。。。

企業買収は大抵社内には秘密裏に進めるものだ。40人ぐらいの会社の規模で、事前に知っているのは役員と担当部門含めて5,6人だった。楽天さんがリリースする日、株式市場が引けた15時以降に社内で説明することになった。

僕はまだ会社にフルコミットで入って2ヶ月ほど。社内飲み会などもなくて、経営会議のメンバー以外とはほとんど喋ったこともないような中、いきなり社員の前で概要を説明する役目を受けた。昔からの友人ってことで前から役員に入ってた男が、入社早々に「あなた達の会社を楽天に売却することになりました」などと言うのである。僕が現場社員だったら「何を言い出すんだ、この童顔新米役員野郎は!」と思っただろう。

対外的にリリースされた後は、周辺各社への説明や社内整理などに追われたが、大きなトラブルもなく、無事合意クローズされた。

===============

会社分割と株式交換による事業売却がクローズした頃は11月に入って、季節はもうすっかり秋になっていた。打ち上げ的な感じで赤坂見附の安い居酒屋で役員3人で飲みに行った。

今考えると怒涛の2ヶ月だった気がするけど、前職でのソフトバンクグループはそれ以上に怒涛だったので、特に疲労感や達成感もなかった。それ以上に「これから新会社含めどうするか」というところが目下の議題だった。

新会社にはまだVCさんが10社入っており、次のステップとして自社株買いでVCさんたちの株を買い取ることが決まっていた。会社に多少の運転資金を残しただけで、残った現金のほとんどを使ってVCさんの株を買い取るのだ。コミュニティ事業を切り離して売却した後に残った会社は、いわゆるweb開発受託会社でエンジニア中心の正社員20名ほどの会社だった。

安い居酒屋で友人であるK社長は、下戸なのであまりお酒を飲まない中、真剣なのか冗談なのか分からないような口調で雑談した。

「もうITはいいわ。ITってお金必要ないじゃん。お金のレバレッジ効かないじゃん。お金調達しても結局使っちゃっただけじゃん」
「なんかもっとリアルなビジネスやろうぜ」
「例えば、飲食店とかさ。最近株式マーケットをみてると、ほかほか弁当(現ほっともっと)とか伸びてるんだよな」
「飲食店とかってさ、優秀なやついなさそうじゃん。俺たちがやったらいけるんじゃないか?」

社長のKさんは僕が新卒で入社したイマジニアの同期で、一番優秀だと思った同期であり、帰りの電車がいつも一緒で会社帰りにいつもいろいろ教えてもらっていた。海外のインターネット事情に精通していて、いつも英語のニュースサイトを読んでいて、「こんなインターネットに詳しい人が同年代にいるんだなー。早稲田にはこんな奴いなかったなー」などと思ったものであった。

自分よりどう考えても優秀だなと思っていたし、自分の見えないものを知っている感じがしたので、僕は「まあ、優秀なやつの言うことを聞いといたほうがいっか」みたいな感覚だった。なので、楽天への会社売却も「彼が言うならやるしかねっか」という感じだし、今回のこの「飲食店がいいんじゃね?」的なノリも同じように「まあそうなのかもな」と思った。

新会社のweb開発会社の方ではまだ株主がいて自社株買いをしなければならないので、その会社で飲食業をやるわけにはいかず、別途会社を作ってチャレンジしようということになった。

当時の最低資本金は300万だったので、一人100万ずつだして300万で有限会社を作ろうということになった。

web開発会社の方の新社名は「ラテン語で空気」という意味のアエリアになった。N会長のお気に入りであり命名者でもある。K社長は「N会長のモチベーションが重要だからその名前でいこう」という感じだった。

飲食店を展開するはずの有限会社の方は、アエリアがN会長&K社長のダブル代表取締役だったので、有限会社の代表はスダがやってくれ、みたいな話になった。「社名どうする?」って僕が聞くと、「スダックスでいいんじゃね?」ってことだった。ラテン語でも日本語でもなかった。

赤坂見附の安い居酒屋で、その会社設立的な経営会議が終わり、翌日から有限会社スダックスを設立するということで、また会社設立の本を読みながら設立登記を進めることになった。

===============

飲食店といえば、大学時代のアルバイト以来、8年ぶりぐらいだ。1990年代の大学生の頃に今はなき「森永LOVE」(北千住店)という森永グループが展開していたファーストフード店で3年間働いたことがある。マクドナルド池袋西口公園前店でも3ヶ月ぐらい働いたことがあるし、ファミレスの「COCOS」牛久店でウエイターも3ヶ月ぐらいやったことがある。ただバイトの経験はあるというだけだけど。。。

とりあえず、「飲食店経営」という雑誌を買って、「どんな業態をやろうか」みたいなブレストになった。株式マーケットではホッカホッカ弁当のプレナスがいいらしい。共働きがスタンダードになり、雑誌にも弁当のニーズが増えるみたいなことが書いてあった。「外食」ではなく「中食」と呼ばれ、「中食ブームきたる」みたいな記事も見かけた。「オリジン弁当」という新たな業態が出来はじめて、いろんなお惣菜を「量り売り」するサービスも出てきた。「健康志向」みたいなワードも出てきて、ブルーカラーが求める「がっつり唐揚げ弁当」みたいなものではなく、より健康的なものも求められるみたいなことも仮説思考で出てきた。

居酒屋業態では、和民、白木屋、養老乃瀧みたいな分かりやすい赤白ロゴの「チェーン居酒屋」に対抗して、少し和風テイストで落ち着いた内装の「東方見聞録」や「金の蔵」みたいな業態が流行り始めていた。2002年の12月である。

マクロで見ると「中食の時代」が来る。そして飲食店の歴史で見ると、コンビニ的な明るい店内・分かりやすいロゴデザインに消費者は飽き始めており、雰囲気のある内装やデザインを嗜好するようになってきた。都心でまだ5店舗ほどの展開だったオリジン弁当はまさにコンビニ的なデザインで展開していた。

「雰囲気のある内装でオリジン業態展開したらいけるんじゃね?」とKくんが言い出した。僕も「そうかもな」と思った。

数日後、Kくんから「まさにこの業態で成功してる店舗があるっぽいよ。1店舗で月商2,000万とか行ってるみたい。見に行こうぜ」と言われ、Kくんの中古国産車にのって、静岡県の沼津市にある和風テイストのお惣菜屋さんの視察にいった。高速で都内から3時間ほどの場所だったろうか。

夕方5時ぐらいで確かに客はごった返していた。沼津市というところは初めて訪れたけど、駅からも離れた場所にあって、ロードサイド型のお惣菜屋さんみたいな感じだった。10台分くらいの駐車場があって、みんな車で買いにきていた。

僕らはコロッケだの唐揚げだの量り売りの惣菜だのを一人2,000円分ぐらい買って、車の中で試食した。「うん、旨いなこれ」みたいな会話をした。帰りの高速で「この店を丸パクリすればいけるなこれ」みたいな会話になった。

==============

「沼津の和風惣菜屋を丸パクリする」という方向性が固まった。先行しているオリジン弁当は都心のビジネスマンをターゲットにしていて、都心ビルイン型店舗で展開する方向だった。さすがに先行しているオリジンのマーケットに直接ぶつけて戦うのは厳しいと思ったので、僕らはオリジンとは別ルートで攻めようってことになった。都心ではなく、郊外型のロードサイドから攻める。まさに沼津のベンチマーク店が同じだったので、そのシナリオでいこうと。

一方で抜けている視点があった。既に聡明な方ならお気づきだと思うけど、僕らは「飲食店のド素人」なのである。オリジン弁当は元々は飲食業をやっていた会社の新業態だった。すなわち経験者である。「経験」を仕入れなければならない。

当時の事業立上げ準備といったら、素人過ぎて分からないことが多すぎたので、とにかく情報をググりまくって調べて、何かヒットしたらアタックして会いに行くということをやっていた。成功飲食店のインタビュー記事などを貪るように読んで、面白そうな人がいたらアポをとって会いに行った。「経験者と組む」というのが次のクリアすべきプロセスだった。

そんな中、2人のプロと仲良くなった。一人はウエキさんという方で年は50歳ぐらい、当時繁盛飲食店のプロデュースをしており、「飲食店の成功請負人」ということでテレビや雑誌などのメディアにも多く出ていた。僕とKくんがアポを取って、渋谷の雑居ビルにある会社を訪問して、僕がざっと作った事業計画書を見せた。

ウエキさんは最初怪訝な表情で僕らを見定めるような目つきをしていたが、僕がプレゼンしていくと徐々に表情がほころびはじめて「ほほー、君たちIT業界から来たんか〜。オモシロイ若者だちだなー」とつぶやいた。僕らはまだ20代後半だったので、20歳ほど年上のニコニコとした「いいおじさん」な印象だった。その後、僕らはことあるごとにウエキさんの会社に行って相談した。

「それにしても、飲食のド素人がいきなりお惣菜屋かー。お惣菜ってのは飲食業界の中でも、一番オペレーションが難しいんだよ。うーん、うーん、ちょっと難しいかもなー」
「まずは成功しやすい業態で経験を積むのがいいかもしれない。最近は僕はラーメン店舗で成功させている。ラーメンならスープと麺だけで勝負できるよ」

業界のプロとしてもとても真っ当な意見だった。

============

もう一人のプロはイチカワさんという女性だった。僕らと同年代の20代後半で、フリーランスで「フードビジネスコーディネーター」という仕事をしていた。慶応SFCを卒業してて、大手企業に勤めたけど退職して「ヤリタイコト」で起業したというタイプだった。女性なのにとてもバイタリティがあってまさにベンチャー気質な感じで、僕らにも共感した様子で「ぜひ、一緒にやりたい」ということだった。

素人の僕らとしても渡りに船だった。起業されているので「プロジェクトを成功させる」というベクトルは僕らと同じだ。彼女自身もフリーランスになってまだ1年足らずということで、このプロジェクトを成功させれば彼女自身のキャリアステップにもなるだろう。

女性的な観点からも「健康志向なお惣菜屋」というコンセプトもまさに共感ポイントが高く、店舗の内装やコンセプト設計、メニュー作りなど根幹部分のコンサルという方向で付き合って頂く方向になった。

============

いろいろプロの真っ当な意見を聞きつつも、まだ我々素人には「判断軸」が無かったので、ラーメンとお惣菜の両バリで検討していこうということになった。ウエキさんは「君たち素人はまずはラーメンからはじめるべき」とのことだった。

「僕が手伝ったお店で修行してみるかい?池袋の「えるびす」っていうお店があるから。とりあえず紹介しておくから、会いに行ってみなよ。

僕らは池袋の雑居ビルを訪問しにいった。社長のデスクと打ち合わせ用の小さなテーブルが1つだけある小さな事務所だった。僕は前職のソフトバンクサラリーマン時代は経営企画部門で内勤が多く、会社訪問するとしても取引先のスカパーか代理店の光通信ぐらいしか無かったので、渋谷のウエキさんの事務所や池袋ラーメン屋えるびすの事務所などの「雑居ビル」に訪問するのは初めての経験で、「雑居ビルへの訪問なんて、テレ東のテリー伊藤の番組みたいだぜ」って気分でとても新鮮だった。


大勝軒創業者の山岸さんを一回り若くしたような、お腹がでっぷりとした、いかにも「ラーメン店のオーナーです」というマスダさんという社長が出てきた。

ウエキさん同様、最初は怪訝そうな表情で僕らを見つめていた。話をするうちに「こいつら悪い奴らじゃないな」って判断したようで、「うちで修行してってもいいよ。来週からお店に来なよ」と言われた。

赤坂見附のアエリア社のCFOとしての仕事もあったので、週末含めて、週3は池袋のえるびすに行くようになった。アエリアは10時以降にゆるゆると出社する会社だったけど、ラーメン屋の朝はとても早くて8時出社だった。

「初めまして、スダといいます。よろしくお願いします」

若い店長さんに挨拶をした。20代中盤ぐらいで、僕の3つほど年下だったかと思う。ラーメン店では3年ほど働いている感じだった。

紺色の割烹着に着替え、同じ色の頭巾をかぶり、ヒザ下まである長靴に履き替えた。これがラーメン店バイトの正装だ。長靴を履いたのは小学生以来な気がする。

新米の下っ端の仕事は店頭の掃除から始まった。朝からお店の前を掃き掃除する。店の前は出勤前のサラリーマンが通り過ぎる。みなスーツを着ている。僕は紺の割烹着を来て、長靴を履いて、ホウキとちりとりをもっている。他の人達はスーツにネクタイ、革靴を「カポカポ」と音を立てて颯爽と駅に向かっている。

僕もスーツを着ていたビジネスマン風な人種だったけど、今は朝からうつむき加減に「掃き掃除をする男」になってしもうた。11月を過ぎて季節はすっかり秋めいていて、朝はとても肌寒かった。スーツマンから長靴男になってしまった。


著者の須田 仁之さんにメッセージを送る

メッセージを送る

著者の方だけが読めます

この著者に講演を依頼する

講演会・セミナーの講師紹介なら講演依頼.com

みんなの読んで良かった!

STORYS.JPは、人生のヒントが得られる ライフストーリー共有プラットホームです。