アリゾナの空は青かった【20】ミセス・エヴァンスのはかりごとPr.1
チェリー氏のクラスが終わったある日のこと、同じクラスのミセス・エヴァンスが声をかけて来た。
「Yuko、今度の土曜日時間がある?うちで小さなパーティーするんだけど、昼食、食べに来ない?」
ミセス・エヴァンスは、アメリカ国籍をもってはいるけれども、れっきとした日本人である。お連れ合いはアメリカの方で、アリゾナ大学にある天文学研究所の職員だ。ちなみに、アリゾナ大学の天文学研究所はかなり名を知られているのだそうだ。このことをわたしは後年知ったという、のほほん者であった。
しかし、ツーソンにあるキット・ピーク天文台には、例のロブ、ブルースのズッコケ組と一緒に出かけ、たった3人の訪問者ということで、丁重に案内してもらい巨大な天体望遠鏡を見学してきたのである。
画像はWikiから拝借したキットピーク国立天文台。この山は、アリゾナ州南部に居住するネイティブ・アメリカン、パパゴの聖地であるバボキバリ山です。23台の望遠鏡があり世界でも有数の天文観測機器が集まっている世界最大の太陽観測望遠鏡もあるのだそ。
さて、ミセス・エヴァンスだが、二人の子供が大学生になり、もう自分をあまり必要としなくなった。これまで聞きかじりのブロークン・イングリッシュでやってきたけれど、もう少しまとまな英語が書けるようになりたいと一念発起。40半ばを過ぎたその年、大学のESLコースを取り、作文クラスでわたし達は席を並べることになったのである。
アメリカの一般家庭がどういうものなのかという興味も手伝って、彼女の住所を教えてもらい、わたしはその週末でかけることになった。
ケンタッキー・インから大学に向かって左に折れ、もと住んでいた927番地を通り過ぎて、大通りのスピード・ウェイからバスに乗るのである。ところがバスに乗って行けども行けども目的地が出てこない・・・運転手によくよく聞いてみると、反対方向のバスに乗ってしまったらしい。慌てて降りたわたしは、週末で他に待つ人もいない向かい側のバス停でボケーットとバスの来るのを待っていた。しかし、車社会のアメリカ、おまけにバスの本数が少ない週末のことだ、待てど暮らせどバスは来るものではない。
と、その時、目の前にスーッと一台の中古のキャデラックが止まった。車窓が開き、「どしたの?どこまで行くの?」と、優しそうなおいさんである。(この頃はパット見で年齢推定できなかった)住所を書いたメモを見せると、「お乗りよ。連れてってあげるから。」とのこと。そのまま乗せてもらい、かの住居に着いたところで、家の前でうろうろしているエヴァンスさんの姿が見えたw
おいさんにありがとうと礼を言い、車を降りしなに、「君の電話番号、教えてくれない?」と訊かれ、ハイ、と、気軽に教えたお調子ものだった^^;
エヴァンスさんが早速近づいて来、「さっきの彼、友達なの?」と訊く。
「いえ、初めての人です。バス停で拾ってくれて、ここまで送っていただきました」
「んまぁーーあぁた!そ、それはね、知らない人に車に乗せてもらうってことはね、何があってもオッケーの意味なのよ~~~」と悲鳴! な、何があってもオッケーって・・・(大汗)
エヴァンスさんの家に入り、家族を紹介してもらい、チキンのグリル焼きの昼食卓はわたしの無謀なヒッチハイクの話題で持ちきりだったのだ。 どうも、わたしは時々普通しでかさないようなことを、無頓着にすることがあるようだ。中学時代の弘前から大阪までの夜汽車での家出から始まり、友人との九州旅行のヒッチハイクと数えてみるとけっこうたくさんあるではないか。家出など、あの頃はまだ人さらいがいた時代だろうから、何事もおこらず何度も無事家出を成し遂げられたのは、運がよかったとしか言いようがない。
後年、わたしはこれら若い頃の、自分の無謀な冒険を振り返ってみて、その幸運さに、「ご先祖さまが守ってくれてるんかなぁ。」などとのたもうて、親友に大笑いされたことがある。わたしは、これまで大抵こういうきわどい経験をしたことに、後で気づくことが往々なのだった。
しかし、かのゲーテは言っているではないか。向こう見ずは天才であり魔法であり力だ、と。
さて、ミセス・エヴァンスのはかりごと、実はこらから始まるのであります。
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