アリゾナの空は青かった【19】Mr.Cherry
ケンタッキー・インの日本人下宿人がわたしだけではなかったのには、少なからず驚いた。
その若い日本人青年は、高校卒業後すぐ日本のとある大手建設会社に入り、まもなく会社の費用によるアリゾナ大学留学を命ぜられ、3年目であった。21歳、若いはずである。しかし、ケンタッキー・インでの驚きはそんなものでは終わらなかったのであるwこれは、今日の題とは関わり合いないので、後日に回させてください。
今回はバック・トゥー・ザ・スクール、大学のESLコースに戻ります^^
1978年1月か2月の大学キャンパス。下はWikiから拾った現在のアリゾナ大学キャンパス。あの頃と違うのは緑がずいぶ増えて見える。写真の季節が違うのか、それとも緑地化に大いなる力を注いできたのかも知れない。
「Mr.Cherry~!」
「だめだめ!ハーモニーがなってない。もう一度!せぇの」
「ミスター・チェリィ~!」
わたしは今でもこの光景を思い浮かべると思わずククッと一人笑ってしまう。
「R」の発音は日本人にとってだけではなく、フランス人、スペイン系、アラブ人にとってもなかなか手ごわいのだった。日本人はLとRの区別がつけられず、スペイン系やアラブ人は、Rがどうしても巻き舌になってしまうのだ。
英作文のクラス担任であるMr.Cherryは毎回授業の始めに、わたしたち全員にRが二つ入ってる自分の名前を合唱させるのであった。両手を挙げタクトのごとく振っては、「せぇの」「ミスター・チェリィ~」とやるのだ。Rの発音だけではなく、ハーモニーも持たせよ、とわたし達に注文なさる。
こうして書くと、このCherry氏、なんとなくダンディーに思ったりはしませんか?期待を裏切るようで悪いのだが、ダンディーとはお世辞にも言い難い御仁だった。60歳に入っていたのだろうか、頭は白髪で頭上真ん中には既に髪の毛一本たりとも残っておらなんだ。いつも白シャツにヨレヨレの細くて短めのズボン。
ホモセクシュアルとの噂も耳にはしたが、真偽のほどはわからない。それは個人的な問題だと私自身は思うので、たいして気にはならなかった。なにしろ、わたしはCherry氏のクラスがコースの中で一番楽しかったのである。
教室ではまず文法を学ぶ。
そして、毎回必ずと言っていいほど、ここではアラブ系の学生が「Why, why」と乱発する。あまりのひどさにわたしなどは、「ク○!お前ら、こんなクラスに来て、まだこういうことも分からんのかぁ。下へ行け、下へ」と内心何度思ったことか(スミマセン)
もちろん口外はしない。しかし、思うのは自由なのだ。自分の読解力クラスでの苦労を忘れて、いい加減なものである。彼らは文法を考えながら話すわけではないので文法そのものはメチャクチャだが、とても流暢に英語を話しているような錯覚を日本人はおこすのだ。
そして、思った。文法は外国語を学ぶに於いてとても大切なことなのだが、それに気を取られてばかりいては、人とのコミュニケーションが取れなくなるのではないか。こちらは外国人だ、多少の文法的間違いは堪忍してもらわないと、言葉が口をついて出てこない。外国語を遣って話すときは、多少の間違いは寛容的に受けてもらおう、と。
そう開き直ったときに、わたしは周囲のアメリカ人たちと話し始めたのである。
さて、毎週宿題として英作文の課題が与えられる。「これまでの人生でしでかした最大の失敗」「初めて英語を本格的に学ぼうと思ったきっかけ」「短編創作」エトセトラ。どれをとっても面白い課題であった。
わたしが生まれて初めて短編小説もどきを英文で創作してみたのもMr.Cherryのクラスだ。後にも先にも短編創作はこれ一本だけです。超高層ビルが隣接し、太陽光が地上に届かないような未来都市の話。花を一度も見たことがないという不治の病を持つ少女と若い脱獄囚の物語だ。
添削された作文は数日後教室で、構成、内容と、文法力評価になる2段階の成績がつけられて手渡される。
その日も授業の始めに先だっての作文の評価が一人一人の生徒に渡されていった。
と、Mr.Cherry、わたしのところでヒタと立ち止まり、宿題を片手に持ちながら、
「Yuko、この成績は、この2年間わたしが誰にも上げたことがないのだよ。おめでとう。」
やった!クラスの視線がこちらに向いているのをわたしはしっかりと感じた。手にした成績は、構成内容がA-、文法がB+。厳しい点数をつけるMr.Cherryからこれをもらったのは、非常に嬉しいことだった。作文の内容はというと、はい、「これまでの人生でしでかした最大の失敗」である。まるで、わたしのために用意されたようなものだ。粗忽者のわたしのこと、今ならもっともっと書けること請け合いだ。
読解力クラス、作文クラスと、こうしてわたしは少しずつ鍛えてもらったのである。英語を学ぶことが目的でアメリカに渡ったのであるが、ここでわたしはそれ以外に、いかにして生徒を授業にひきつけ、楽しさを交えて学んでもらうか、という教授法を垣間見た気がする。ツーソンのESLコースは本当に楽しかった。
後年、わたしはポルトでいずれ帰国して日本の学校に再び通うはずの日本の子供達やポルトガルの日本語学習者たちに、曲がりなりにも国語テキストや日本語を教える羽目になったのだが、我が娘がよく言ったものである。
「いいな、隣のおかあさんのクラス。いつも笑い声が聞こえてくる。」
家での日本語教室にいたっては、レッスンが終わり生徒さんが帰るなりすぐ顔を出して、
「おっかさん、ほんとに日本語教えてるの?デッカイ笑い声ばかりが聞こえてるよ」
大丈夫だい!ちゃんと勉強はしてらぃ!
Mr.Cherryからわたしがいただいたものは、あの成績よりもむしろ、努力も必要なことをもちろん踏まえて、「笑いながら学ぶ、こんな楽しいことはない。」 これである。
Mr.Cherry と一部のクラスメートたち。左から二人目はこの後登場するミセス・エヴァンス。
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