7話 2人の子供は障がい。6年間不妊治療をしてやっと授かりましたが個性的な子供たち。さらに私の夫は…。私はエステティシャンの夢。波乱万丈な私の人生!<母のガン発覚・死>
7話は、母のことをかきます。
ありがたいことに主人の理解もあり、東京から大阪へ行ったり来たりという生活が3年続きました。
そして3年後に母は亡くなりました。
病気が発覚した時、3か月もつかわからないと言われた事を考えると母は立派でした。
でもそれは、母に生きてほしいという家族の思いですが、母にはとてもとても辛い闘病生活だったと思います。
手術ができないため、薬でがんを抑えるので副作用がひどく・・。
手、足の爪の横から肉がでてくるのです。
肉がそのままなので、痛いです。
朝晩の消毒、にテーピング。
すべての指です。
そのうち、頭からも肉が出てきました。
食欲もなくなりました。
薬もきかなくなり、とうとう抗がん剤治療に・・。
髪の毛は抜け。
吐き気、発熱・・。
母が「生きていくのがつらい・・」と言ってました。
本当に辛い治療でした。
もし私が母と同じ立場になれば、母と同じ治療はできないと思います。
母の病気と死で、人間とはどうあるべきものなのかと考えさせられました。
抗がん剤治療から、一気に母の体力が消耗。
歩くスピードは遅く、さらに食欲もなく痩せ・・。
とうとう歩くことも、できなくなりました。
このとき、病院の先生から入院を進められましたが、母は納得しませんでした。
姉家族は父の家に住み看病してくれました。
このとき姉にはお腹の中に赤ちゃんが。
姉も大変だったと思います。
そんな時、血便が出ていることが分かりました。
母に聞くと、前からだそうです。
きっと母もそのことを言うと、入院となり病院から出てこれないと思ったのですね。
すぐに入院。
そこからは、意識もうつらうつらと・・。
姉から、「そろそろ・・」と電話があり。
すぐに子供を連れて帰りました。
着いたときは、意識はなく。
今まで母が治療を頑張ってきたことで、これ以上辛い思いをさせたくないと延命治療はしないと家族で決めました。
それからは、ゆっくりと・・母は逝きました。
後で姉から聞きましたが、母が意識がなくなる前に私の名前を読んでいたらしいです。
小さい頃、母が亡くなったら自分も一緒に死のうと思っていました。
余命3か月と言われてから、自分の中で母が亡くなったらどうなるんだろうと不安でした。
実際、母が亡くなって・・。
以外に冷静でした。
それは、宣告をされてから無意識に自分を守るために、心の準備をしていたのです。
母が亡くなってから、私は泣けなくなっていました。
私は自分の感情をなくしていたのです。
でもこのストーリーをかいていると、母の事を思い出し、優しかったところ、治療が辛かったこと、こんなに早く命をたつという悔しさを思うと、ポロポロ涙がでてきました。
忘れていたものを取り戻した気分です。
ありがとうございました。
つづきは母が病気の時、子供たちの様子です。
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