落ち葉を見て「死」を悟ることで、死の問題が解決した話 第1回

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 終末期の自分を支えるものは何か。


悪性リンパ腫という血液のがんを告知されたとき、私はその問題の答えを必要としました。

候補として、真っ先に思いついたのは、信仰心を厚くすることでした。なぜなら、私には「死んだらたましいはあの世に行く。お盆には還ってくる」という神道や仏教の混じった死生観がありますので、それを厚くすることができれば、死の問題は解決するのです。しかし、日々の宗教的な積み重ねのない私には、あの世やたましいに対して、理性を超えるほどの実感がわかないのです。

「信じる者は救われる」とは本当のことだと思います。宗教の提示する死生観に自分のすべてを委ねることができれば、最期のときも心の平穏は保たれるような気がします。しかし、付け焼刃の信仰心では、救われるほど信じ抜くことができないのでした。そのような無宗教の人は、どうすれば死の問題は解決できるのでしょうか。


●コメント

人は、自分の死を予感したとき、死や生に関する哲学的問題を抱えることがあるそうです。過去においては宗教が解決の役割を果たし、それは現代の一部の人にも有効のように思えます。

しかし、信仰を持たない大部分はどうすれば良いのでしょうか。健康診断でがんが見つかって、どうしても死の問題を解決しなければならない状況にたたされたとき、無宗教で解決できるのでしょうか。自分が生きていたこと、そして死ぬことに対して、私たちの精神と理性が納得するような解決はあるのでしょうか。

自分の体験からはじまり、その後10年を費やした論考を全30回ほどで掲載します。

前例のない強度で問題に切り込んでいます。

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