思い出のバスに乗って:綴り方教室

前話: 思い出のバスに乗って:梅の木のある家

子供の頃は、究極の内弁慶であった。
ご近所では、女だてらに男の子達を従えてのガキ大将、親分であったのに、学校に行くとからきしダメなのだ。毎学期ごとの通信簿には、良くもない成績に加えて、「今学期も一度も挙手がありませんでした。」とか、「発言が一回も行われませんでした。」と、ずっと毎年書かれて来た。だから、悪さをして親が先生に呼ばれる、などと言うことは学校ではなかったのである。

小学校5、6年の頃であろう。わたしは生まれて初めて学校の小さな図書室に入り、一冊の本を借りた。
それまで、本らしき本は、手にしたことがない。当時は「なかよし」「少女」「少女クラブ」などの少女向けの月刊雑誌があったが、それらのどれか一冊を手にするのは年に一度のお正月であった。

朝、目が覚めると、わたしと妹の枕元にお正月特別号として、いっぱいの付録でパンパンに膨らんだ一冊の少女雑誌がお正月のお年玉代わりとして置いてあるのだ。それは本当に待ち遠しく、嬉しいものだった。その一冊は、完全に自分の物だったから。

さて、学校の図書室でわたしが初めて手にしたその本には、「シャーロック・ホームズ:まだらの紐」とあった。なぜ、自分がそれを選んだのか今では覚えていない。しかし、それが以後のわたしを読書に駆り立てることとなった始まりの、挿絵がところどころにありはしたが、活字がぎっしり詰まった、いわゆる「本」なのであった。

最初のこの一冊で推理小説の面白さに引き込まれ、わたしは瞬く間に図書室にあるホームズ・シリーズを読破した。次に向かったのがモーリス・ルブランの「アルセーヌ・ルパン:奇巌城」。これには参った!泥棒とは言えども、エレガントで世界中を股に掛け恋をし、大金持ちからしか盗まないルパンが実にカッコよいのである。

「怪盗紳士ルパン」「ルパンの冒険」「ルパンの告白」「ルパン対ホームズ」と次々と読み漁り、すっかり虜になってしまい、寝ても冷めてもヨン様ならぬ、ルパン様である。そして、シャーロック・ホームズよりも「怪盗ルパン」の方にわたしはより魅力を感じたのだった。布団の中で、夜寝付くまで想像を膨らまし、夢の中ではわたしはルパンになるのだ。

そんなある日、クラスで綴り方、つまり作文の宿題が出た。作文を書き、それを各自がクラスで読んで発表するのである。迷うことなどあろうか、わたしは自分が夢中になっていた「怪盗アルセーヌ・ルパン」について書いた。

内弁慶だったわたしは、発表の自分の順番が回ってくるのにドキドキしながら、その反面、ルパンについて、皆に話したくてたまらなかったのだ。これは、究極の内弁慶にしては、生まれて初めて持った鮮やかな積極的な気持ち、興奮であった。胸の高鳴りを感ながら、大きな声で読み上げ、最後をわたしの作文はこう結んだ。

「わたしも大人になったら、ルパンのように世界中に手下を持つ大泥棒になりたい。それがわたしの夢です。」

数日後、母は先生に呼ばれた。「泥棒になりたいというのが夢。ましてや女の子がとんでもない。」と、当の本人ではなく、母が説教をくらって来たのである。母はわたしを叱りはしなかった。

大人になったわたしは世界を股に掛けるとまではいかないが、一般の日本人の人生軌道を逸して、海の向こうはアフリカ大陸というイベリア半島にひっついている小さな国、ポルトガルに定住することになったのだが、これは幼い頃の夢のかけらだと思っている。

ここにはあの頃の究極の内弁慶の少女の姿はもうない。日本とポルトガルを股に掛けてる間に、あのころの内弁慶だった少女は、人前で自分の思うところを言えるほどに、逞しい変貌をとげたのである。

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