具体と根本 第2回

前話: 具体と根本 第1回

具体と根本



今、映画の主人公が恋にやぶれて肩をおとしています。映画館に居合わせた観客のなかで主人公の心の痛みにより共感できるのは、失恋の経験者であって、未経験者ではないはずです。そして、未経験者が経験者ほど理解できるようになるには、実際に失恋をして痛みを知るしかないはずです。

闘病記の体験も同様に、実際に同じ体験をしないと、その体験の細部までは分からないのです。たとえ、花の香りをかぐ体験によって死の問題を解決したとしても、それは別の体験ですから、闘病記のを分かるようにはならないのです。

たとえば、禅には「富士山を荒縄で縛ってもってきなさい」という公案があります。それを闘病記の体験から答えようとすると、「私=自然」の感覚ですから「私=富士山」になります。指にでも縄を巻けば、同時に富士山にも巻いたことになるのです。ただ、この回答は亜流のようですから、実際に公案の透過になるかは分かりません。一方、花の香りをかぐ体験から答えようとしても「自然=正しい」「私≠正しい」ですから、即答は難しいのですが、視点を少しずらすことができればと解くことができるかもしれません。


もう一つ。鈴木大拙氏の『禅問答と悟り』には、次のような文章があります。長慶の稜という人は、簾を巻き上げた瞬間に「あぁ」と気づいて、このように言いました。

「錯っていた、大変に錯っていた。今まで考えていたことと全くの相違だ。簾を上げて見るこの世界!柳は緑に花は紅、山は高く水は長い。ただこれだけである。」

 長慶の稜という人は道元と同じことに気づいたのですが、この出来事のきっかけとなったポイントは、闘病記の体験では分かりません。しかし、花の香りをかぐ体験では、すぐに察しがつくのです。


最後にもう一つ。「今ここに、あるがまま」は、道元の実感から発せられた言葉です。くりかえしになりますが、この言葉は闘病記の体験では分かりません。花の香りをかぐ体験であれば、想像するくらいはできます。もし、「生きることは感じることである」と気づくような体験をすれば、かなりピンとくるかもしれません。

以上のことから、闘病記の体験、花の香りをかぐ体験、「生きることは感じることである」と気づく体験のすべてが悟る体験であれば、それぞれから分かるものが違うのですから、悟る体験には複数種類あるのではないかという予想がたちます。


もう少し詳細に述べましょう。問いが変われば答えは当然変わります。「気づくきっかけとなるポイント」(落ち葉を見る、花の香りをかぐ)が変わると「気づき」の内容も変わると想像できます。そして、おそらく、悟る体験とは人間の機能ですから、機械的なひとパターンしかないはずです。そこから気づく内容は「問い」や「気づくきっかけとなるポイント」によって変わるのですから、悟る体験の基本形はひとパターンしかないが「問い」や「気づくきっかけとなるポイント」などの条件によって複数種類になる、と考えられるのです。

つまり、悟る体験の基本形は、


問いの種類×感覚上の刺激のポイント⇒気づき(自己と外界との関係性、構造、自然現象を受け入れるなど)


であり、花の香りをかぐ体験がそれにあたります。そして、基本形に一体感という条件が加わったものが闘病記の体験ではないかと思います。つまり、


問いの種類×一体感×感覚上の刺激のポイント⇒気づき(自然現象を受け入れる)


 ということです。



 三章では図1の条件によって一体感は起こると考察しました。四章では闘病記は、私のなかの「なにか」が(闘病記の)条件づけによって、そのストーリーになったと考察しました。そして、本章では闘病記の解決とは、悟る体験の基本形に一体感が条件づけられたものであり、悟る体験の基本形でも死の問題は解決できるかもしれないと考察しました。そのため、少々強引ではありますが、闘病記のすべての条件を変えたとしても、別の場所の、別のタイミングで死の問題は解決していたのではないか思えるのです。そして、そのような考え方にたてば、目に見える条件はそれほど重要ではないと思えるのです。

これらの考察をまとめると、かりに、悟る体験を可能にする根本のようなものを「2」だとすれば、「2」にどのような条件をつけても、死の問題は解決できるかもしれないということです。

「2」×3=死の問題の解決

「2」×4=死の問題の解決

「2」×5=死の問題の解決

「2」×6=死の問題の解決

「2」×7=死の問題の解決

反対に「2」ではなく、2であれば、同じ条件をつけても、

2×3≠死の問題の解決

2×4≠死の問題の解決

2×5≠死の問題の解決

2×6≠死の問題の解決

2×7≠死の問題の解決

 になるのかもしれません。そのため、死の問題を解こうとする「2」でない人に、「落ち葉を足元に置いて、川をながめてごらんなさい」と助言しても解決できないかもしれないということです。

 もし、その人が言われた通りにして、川に無常観が刺激されて「諸行無常、諸行無常。・・・そうか、人の命ははかないものだ」としみじみ感じたり、「そうか、あの人は私の命がもうじき尽きることを暗に伝えようとしている」と悟ったとしても、例の二本の平行線の、気持ちの線に接触して、あきらめや気持ちの落ち込みにつながります。無宗教での死の問題の解決ではないのです。


●コメント

「具体と根本」は終わりです。次回は「場所」です。

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