まるで家具のように動かされる私
2013年9月。新しい職場に向かいました。
なんと、アメリカで就職して初めての大部屋。全員が壁に向かって座り、同じ部屋にいて、振り向けば話せるにもかかわらず、メッセンジャーで会話する、みたいなところでした。転職して3日で後悔。
部下が二人付くはず、でしたが、私が転職を1ヶ月待ってもらっていた間に、派遣社員が正社員になり、本来私がするべき仕事を全部やってしまっていました。
そう、私は、転職した初日から、することをすべて奪われてしまっていたのです。しかも、若い子3人がグループで私を潰しにかかる。
裏でいろいろなことがあったのでしょう、学部長に呼ばれて、「語学研修所でアドバイザーチームを作るから、手伝ってあげて」と言われます。それが、転職してからまだ2ヶ月たった頃でした。私は、International Admissionsを束ねる仕事についていたはずが、異動という形で追い出されてしまったのです。
その後私がすごく不満だったのが、異動と言っても正式ではないことでした。私は、新しい書類にサインはしていない。正式な文章で異動を申し付けられていない。肩書きも、仕事内容の書類も、2013年9月のまま。でも、次から次へと違うことをさせられる。International Admissions Advisorもしました。Conditional Admission Advisorもしました。当時の上司は、「これはテンポラリーだから」と言う。3ヶ月の人事評価、6ヶ月の人事評価、9ヶ月の人事評価、そしてプロベーションが終わる1年の人事評価。毎回、仕事の内容、次のタームへの目標が大きく異なります。結構めちゃくちゃ。
そして、私を採用して、まるで家具のように動かしまくった上司が、結婚、転職をして去っていきます。
次に、International Gateway Programというところのディレクターが私を拾ってくれました。といっても、正式な書類はまったくアップデートされていません。ここで、彼が首にしたアウトリーチの人の仕事をまるまる引き受けることになります。
このディレクターは、私がこれまで働いてきた人生の中で、最高の上司でした。今でもものすごく尊敬していて、時々相談に乗ってもらってるくらい。
その人の庇護の下、私はしばらく安心して仕事をすることができました。
でも・・・その人は、この政治的な職場にうんざりして、なんと1年でやめてしまうことになります。あれほどショックだったことってない。私は、帰りの車の中で号泣しました。上司は死んでしまったわけではないのに、まるで死んでしまったかのような泣き方でした。
普段、めったなことでは泣きません。あそこまで泣かせた上司、すごすぎる!
彼がやめてから、たった2週間ほどで、とっても和気藹々と楽しかった職場にすでに不穏な空気が流れるようになります。
私といえば、その上司がやめた瞬間、人事部から「あなたはこれから学部長直属になります」とメールが一方的に送られてきました。ま、いいんだけどさ、私、何にもサインしてないよね(怒)
学部長直属なのは、結構楽しかったです。普通だったら出席できないミーティングにも出席できて、スリルがありました。
そうこうしているうちに、また異動!International Admissionsに戻って、アウトリーチをしろ、という。
これまた一方的にメールがばらまかれ、今回は、ここで黙ってニコニコしていたらだめだ、と本能で感じて、初めて「No」を言いました。
周りは、びっくりしたし、焦ったようです。
ただ、私のNoは、拒絶ではなく、「ここからクリーンなスタートを切れるように職務内容を正式に見直し、新しい書類を作る形で助けてください」というお願いだった。
でも、そんな説明は聞かないで切れまくる新しい上司となるであろう人。笑えた。全部書き留めて、メールにまとめて「今回のミーティング内容」として、その本人に送りました。私が記録しているのがわかって、まずいと思ったんでしょう、学部の人事担当者にもコーチされたようで、次回から態度が激変していました。
約1ヶ月かかりましたが、今年3月末にやっとのことで正式に異動する文書ができ、昇給、昇格はなかったものの、実際に行っている仕事内容を反映した職務内容の書類が完成し、サインをするにいたりました。
思えば、2013年9月に転職したのは、私にとっては鬼門だったのかもしれません。私が転職して数日後、なんと夫がリストラされることになるのです。
著者のNishiguchi Satokoさんに人生相談を申込む
著者のNishiguchi Satokoさんにメッセージを送る
著者の方だけが読めます