「やれることはなんでもやる」人生から、「これしかできないことをやる」人生に切り替えてみた。

次話: 僕がフリーランスライターになるまでの沿革【所要時間3分】

いよいよ、引っ越しも終わり。


僕はこれから、東京を離れて、故郷に戻り、文章を書く仕事をしながら、静かに暮らしていこうと思っています。


とはいえ、東京という街とのご縁がばっさり切れるというわけではなく、いくつかのお仕事を貰いつつ、東京と故郷を月一くらいで行き来する二重生活をすることになりそうです。


仕事については、最終的に選んだ、というか、それ以外に選択肢がないというところまで自分と向き合って考えた結果、フリーランスライターという職業を生涯の糧としていくことに決めました。


おそらく、このキャリア決定は、今後揺らぐことはないと感じています。僕自身、それほど器用な人間ではない(ということが東京での暮らしでとてもよくわかった)ので、たぶん死ぬまでにできることと言えば、文章を綴ることくらいかな、と。


今のところ、駆け出しの僕のような者に、いくつかのお仕事をくださる方々に恵まれ、フリーランスライターとしての実績を少しずつ積み重ねていくことができそうです。これは、とてもありがたく、幸運なことだと思っています。


まあ、食えなくなったら、その時はその時で考えればいい、という腹を括った思いもあります。死なないうちは生きていなければならないですし、仕事なんて、やろうと思えば星の数ほどあるわけで。


ただ、2016年夏に身体を壊して前職を退職して以来、体力は以前と比べて明らかに衰えています。時間を忘れて長時間働くようなことはできませんし、お酒をたくさん飲むこともできません。眠りは浅く、長くなり、辛い頭痛に悩まされることも多々あります。


ある意味で、僕に残されている時間、やれることは非常に限られている、という想いがあります。


なので今後は、仕事に関して「やれることはなんでもやる」というよりも、「これしかできないことをやる」というスタイルでいこうと思っています。


思えば、東京で過ごした今までの時間というのは、「やれることはなんでもやる」をモットーに、自分を出来るだけ社会に近づけ、手元に何が残るのかを知るための壮大な学びの時間だったような気がします。


しかし、東京に出てきて6年間、SEO、占いライター、新規事業企画、サイト運営と、やれることはなんでもやって、時間と稼いだ金を注ぎ込み、身体を壊して手元に残ったのは、傷だらけの心身と、「人生は有限」という研ぎ澄まされた確信のみ。


「これしかできないことをやる」というシンプルな答えに行き着くまでに、ずいぶん苦労をしたものだ、とも思います。


でも、この過程がなければ、僕は今でも「やれることはなんでもやる」ということに気を取られて、別の可能性を捨てきれずに紆余曲折を繰り返しただろうと思うのです。


会社を作ったり、出世したり、新しい事業を立ち上げたりするのも、恋愛をしたり、結婚をしたり、子供を作ったりするのも、音楽をやったり、絵を描いたり、小説を書いたりするのも、結局は世界のごく一部を担うだけです。


僕たちはどこまで行っても世界のごく一部を知ることしかできません。世界のすべてを知るためには、あまりにも人生は短く、時間が圧倒的に足りないからです。


だからこそ、重要なことは、自分がどの世界の一部を担い、やり切る自信を持てるか、ということに尽きるのではないでしょうか。


やれることは考えていけばたくさん思いつきますし、世の中には理想とされる人生のロールモデルが溢れています。可能性を追っていけばきりがないのですが、残念ながら何かをやり切るための時間は有限です。


これがやれたらいいな、ということにあれこれと手を伸ばしている時間は残されていないのです。


だから、僕はせめて残りの人生を、自分が自信を持ってやり切れることだけに使っていこうと思います。


村田悠(Haruka Murata)


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