僕がフリーランスライターになるまでの沿革【所要時間3分】
どうも、村田悠(Haruka Murata)です。
前回の記事【「やれることはなんでもやる」人生から、「これしかできないことをやる」人生に切り替えてみた。】を書いてから、自分の生い立ちや、家族のこと、仕事のことをもう少し詳しく書きたいなと思い、あれこれ下書きをしたりして、思案していたのですが。
まどろっこしいな、と。
偉人ならともかく、まだ何も成していない32歳独身フリーランスライターの人生なんて誰も時間かけて読まねーよ、というツッコミが僕の中でそこはかとなく発生したので、所要時間3分でご理解頂けるように、以下、箇条書きで、僕がフリーランスライターになるまでの沿革をまとめました。
誰の役に立つのかも不明ですが、まあ、時間のある方はカップ麺が出来上がるまでの間にでも、ぜひご覧ください。
はい、スタート!
●三重県に長男として生まれる、家族は父、母、妹の四人
●父が下半身不随になり、身体障がい者になる
●両親が不仲により離婚、父方で育つ
●母がハーレー乗りの旦那と再婚
→この辺りまでは自分の意思でコントロールできないエスカレーター式の人生、人生の不条理とか、闇的な部分を蓄える時期だったと思う
●三重県の某高校に入学して、バンド活動を開始、ギターがそこそこ弾けたのでエースという称号(あだ名)を襲名、初めての彼女もでき、ハードコアバンドに加入してスキンヘッドにし、粋がる
▼当時の僕
●高校の卒業式に出たい、という理由だけで京都の某大学の後期入試を受験、テストでナンバーズばりの奇跡を起こして入学
→毎日が楽しくて、人生楽勝、と思えたのはここまでで、以降、苦悩の日々が始まる
●京都の某大学にまったく馴染めず、7年間かけて卒業(4年+3留年)、大学で得たスキルは主にメタルギターの演奏と麻雀
→6回生の時、アルバイトで入った大阪グルメサイトの取材ディレクター業務がハイパーブラックで、心をバキバキに折られて卒業が1年遅れ、鬱々とブログを更新するうちに、「俺、書くことが好きかも」と思い始める
●某スパで働いていた友達の女の子が、東京にある某SEO会社の会長に土下座してお願いしてくれたおかげで、25歳にして新卒扱いで就職、上京
●エクセルのエの字もわからないような状態から、SEO、ウェブ業界の基礎知識を学ぶ
●村上春樹の「1Q84」の本の扉に書かれた言葉を読んで、体に電流が走り、「僕は小説を書かねばならない!」と慧眼
▼これですね
ここは見世物の世界
何から何までつくりもの
でも私を信じてくれたなら
すべてが本物になる
●業務の合間に、一年間かけて処女作を執筆、公募に応募したものの落選
●当時片思いしていた女の子の一言で、「物書きになる!」と奮起して、27歳で会社を辞める
●渋谷を拠点にして絵描き、バンドマンなどとつるみながら、半年間、短編小説、中編小説を書くも、良いご縁もなく、芽は出ず
●生活のために仕事を始めようと、「女性向けサイトでのライティング業務」という応募に惹かれて面接を受けた会社で、占いライターをやることになり、タロット占いのスキルを取得
→売り上げのために、毎日1万字から2万字の原稿を書き、月400時間近く働く過酷なルーチンワークに晒され、見た目が新興宗教の教祖のようになる
▼当時の僕、髭がやばい
●六本木のとある店で出会った、イカつい経歴を持つおじさんに惚れ込んで弟子入りし、会社を飛び出してカバン持ちを始める
→某出版社の社長さんや、ガチでアンダーグラウンドな方々まで、様々な人たちを紹介していただく傍、本気で人が殴られている現場を目撃したり、Vシネマ的な出来事をいくつか経験する
●あれこれあって、イカついおじさんのカバン持ちを卒業し、IT広告のベンチャー企業に就職、ウェブディレクター、新規事業企画など、幅広く業務を担当
→「物書きになりたい」という想いを保留して、とりあえずまともに社会人をやることに集中
▼当時の僕、社長のススメで銀髪にしていました
●2016年1月末、母親の再婚相手の旦那が交通事故で急死
→あまりにも突然の死、自分の中で「人生は有限」という意識が高まり、自分は何のために生きているのか、使命感はどこにあるか、考えるようになり、「物書きとして生きる」ことを再び求め始める
●2016年7月末、髄膜炎を発症、入院
→身体を壊して途方にくれる自分に、「今の仕事を辞めて、物書きになりなよ」と家族から助言をもらい、短い人生の中で、自分の使命感に素直になろうと決意
●2016年8月末に退職、2016年10月末から東京から拠点を故郷の三重県に移し、家族との絆を大事にしながら、フリーランスライターとして開業することを決める
●「物書き」という生業に邁進することを決めて、人生を極限までミニマルにしてみたら、素敵な大人の方々との出会いがあり、人生の妙味を改めて実感している
→イマココ
という感じです。
カップ麺が出来上がった方は、取り急ぎ、ずるっといっちゃってください。
一つ一つのマテリアルについて、当時の心象風景まで細かく描写し始めるとキリがなくなるので、出来事と簡単な所感を、あれこれ書き出してみました。
ひとつだけ言えることは、人生の様々な出来事が有機的に絡まり合って、避け難く「今」に至っているということです。
辛いことや、もがいた経験ばかりが目立つ過去ですが、後悔はひとつとしてありません。
すべては僕が選択し、歩んできた道だからです。
まだまだ、人生のストーリーは続いていきます。
僕をここまで運んでくれた人生の苦悩と不思議に感謝しながら、「物書き」という生業に真摯に向き合っていきたいと思っています。
村田悠(Haruka Murata)
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