金融バブルの星屑 その5 その軌跡 二
勿論、皆んなが成功している訳ではない。
信託銀行の担当者はロンドンへ赴任して暫くするとシンガポールへ。当時のシンガポールはアセアンの中核として高成長を遂げていて勢いがあった。
私がシンガポールで単身赴任をしていた時に少し期間が被っており、彼の帰任前に送別会をした。
その頃、私は転職活動をしており準メインバンクの人間相手に、その「悩み」を相談していた。
タクシーで彼のアパートまで送っていき別れを告げたが、それから音信が途絶えていた。
それから10年が経過した頃偶然にもLinkedInで彼を見つけ、
「返事が来るかな?」
と思いながらもメールを送ってみた。
直ぐにメールが返ってきて、
「大変ご無沙汰しております。ご連絡ありがとうございます。
懐かしい日々を思い出しました。
ご報告したい事もあるのでお時間を頂戴できませんか?」
昼前にオフィスに来て貰い、次いで隣のホテルにある鉄板焼の店でランチを食べながら話を聞いた。
中々、苦労の連続だったらしい。若くして自信に満ちて仕事をしており前途も確かと思っていたのだが、そうでもなかったらしい。
重用してくれていた役員が退任した頃から、周りの連中の扱い方が違ってきたらしい。
周りからすると、本人の実力というよりは役員の「虎の威を借る狐」と映っていたらしい。
その「虎」がいなくなったのだから、只の小賢しい「狐」と言うことで煙たがれたり、過去のリベンジ的な仕打ちも受けたらしい。
上司に重用された者が陥りやすい。
言葉は悪いが「どこで上司から乳ばなれするか?」は重要だ。
成功していた者ほど挫折した時のダメージも大きい。彼の場合も同様の様だった。
暫く出社出来ない時代もあった様だが、未だ若い。
思い切って銀行を辞めて事業会社系のファイナンス会社で新規の部門を立ち上げると言う。
成功を心から祈っている。
最後にアメリカの現地行に赴任していった旧外為専門銀行の若者。
彼の名前を新聞の人事欄で発見したのは今世紀になってから。
外資系の大手アッセトマネージメント会社の社長となっていた。本当に大手。
業界団体の役員も務めて活躍しているんだな、と思っていたら突然の退任。
次の進路についての発表も無く、一年以上経った今も消息は知れていない。
バブル崩壊の影響、それは「失われた20年」とも呼ばれている。
経済は停滞したかも知れないが、その中で暮らしている人々にとってはそれぞれの「人生」が続いていたので有って、それぞれの場所で明るい星として輝いている。
この様な人々と若い時代に仕事が出来たことが自分の今日の外資系企業でのファイナンス及びにオペレーションの責任者としての礎になっているのは間違いが無く大変幸運なことであり、また感謝している。
人生は長い。これから我々に何が起こるか、いや起こすか。星は未だ光り続ける。
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