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16/5/5

新卒で入社した一部上場企業が民事再生法適用になった話 その4

Image by Olia Gozha

当然、中国ブームに沸いたのは1社だけで無い。ケープサイズという15万トンの荷物を運べる船の1日の借船料が損益分岐点の2万ドル、250万円の10倍以上の25万ドル、3千万円に達した。

各社とも競って新造船を発注。2ー3年後の造船所の船台は全部埋まり、更にその先の発注が続いた。

それでも中国の成長は始まったばかりで沿海部から内陸部に進展することが期待されていた。

2008年3月期には200億円を超える最終利益を叩き出し、正に「行け行けGo Go」。


そんな時に社長に就任したのが親会社で一旗上げた副社長。

巷では中国バブルの崩壊と経済の停滞が懸念されていたのに、造船価格の低下をチャンスとばかりに「逆張り」で再度の大量発注。自分を出した親会社を見返してやろうとの思いもあったのだろう。

ところが船が出来てくる頃には市況は大きく崩れ先のケープサイズの1日の借船料が2000ドルとピークの1%という状況になっていた。一隻あたり年間7億円の赤字という計算になる。

こうなると新造船が出てくれば出てくるほど赤字の垂れ流して。見る間に手持ちの資金がなくなっていった。


誰の目にも「逆張り」の失敗は明らか。

実質の経営権を握っていた、また社長を送ってきた責任から逃れられないと判断した親会社は、この社長をを更迭。

代わりに副会長を社長として派遣。親会社の社長からは「絶対につぶすな。」と指示が有ったと言われている。

市況が悪くなった時の対応は「株」でもそうだが「損切り」。海運で言えば不採算船の処分。

ところが大きな損失を計上して債務超過にするだけの胆力が無かった事から、船主からの用船料の値下げと運転資金300億円の貸付、これは後に優先株に転換されるのだが、で市況の回復を待つという不十分な対策しか取られなかった。

悪い事は重なるもので鹿島港で全損事故を起こした船主が、「安全港」で無い港へ配船したとの主張で1億7千万ドル、約200億円を請求する訴えを英国で起こされ第一審では敗訴。

また2012年にかつての親会社だった住友金属が新日鐵と合併。徐々に、原料輸送が旧新日鐵系の海運会社に移されて行ったのもボディーブローの様に応えた。


とにかく赤字を止められない以上、資金手当をするしかなく利益の出る資産の切り売り生活に突入。

まずは利益の乗っている船舶の売却。本来、利益の源泉だがそんなことは言っていられない状態だったのであろう。

つぎに荷主との契約のある船舶の売却。住友金属向けの専用船や悲願だった東京電力向け専用船3隻も親会社に借金付きで売却。これも多角化の為にやっと持てたガス船も実質売却。

挙句は国内海運輸送に従事している会社を船舶、従業員共々、瀬戸内の船主に売却。

従業員まで売却する迄追い込まれているという事は、相当の事である。

また前後して船主、商社、ファンドを引受先として第三者割当増資を行った頃から親会社の逃げの姿勢が顕著になってきていた。


最後の「一押し」となったのは結局「投資家の目」だったようだ。

商船三井も親会社、社長の派遣先と言うので長期に亘って支援を続けてきたが、自身も海運不況の中で構造改革に取組む必要がある。そんな時にいつまでも子会社では無く持ち分法適用会社に過ぎない会社に支援を続けて行くのは自社の投資家の理解も得られないと。


そして2015年9月29日の日経朝刊。一面に「XXXXXXが経営破綻。民事再生法申請に調整」との見出しが。

その月に旧役員の葬儀であった同期、今は執行役員をしているがつぶやいていた言葉が思い出された。

「もう少し頑張ってみるよ。」



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