「赤本」を知らなかった高3の夏。でも生き方は色々あります【其の四・予備校】
【予備校通いはするけれど…】
結果から言えば現役での記念受験は当然のごとく全滅です。
無論自分としては予定通りでしたので悔しい気持ちは何もありませんでした。
晴れて「浪人生」が決定したところで、自宅勉強だけでやったろうという気持ちになっていたのですが、さすがに母親が「どうせ勉強しないでしょ」と完全に見透かしたようなことを…
短期的な集中力ならばあるだろうと自負していたのですが、一年に渡るマラソンのような受験との戦いはどうだろうなという不安があったことは否めません。
そうなると選択肢はただ一つ。予備校通いです。
Yゼミ、K塾、S予備校。当時三大予備校と謳われた大手もありましたし、あの頃からTハイスクールなどの新興勢力も出始めていたでしょうか。
そこでいくつかの予備校をブラブラと見学しに行きました。
その中でも、あまり名の知られていないA予備校なるところは今でも印象に残っています。
とりあえず予備校の校風というか理念というかそんな話を聞かせていただいたのですが、中でも先方の熱が入った話になってしまったのが、
「伝説の19時間男」
文字通り寝る間も惜しんで毎日19時間勉強をしていた生徒がいたという内容だったのですが、当時からそういう松岡修造的な熱に対しては私非常に醒めた心を持っておりまして…
話半分で聞き流したところで踵を返しました。
ホントやな奴ですね、自分(笑)しかしながら、今もあの予備校はあるのかしらと今さらながら心配も…
あれこれ巡した結果、結局のところ一番無難そうなYゼミナールへ通うことに決めたのですが、ここでもまた自分の天邪鬼が発動します。
他の予備校でも同じようなシステムはあったはずですが、毎日規則正しくしっかり通う浪人生だけの本科生になるか、必要な科目だけを現役生と一緒に夕方受講する単科生になるか。
二つの選択肢があったのです。
当然の如く後者を選んだ自分です。だって…
完全に何かを履き違えていますね。
そんなわけで週3日だけ通うというお気楽自堕落な予備校ライフが始まりました。
そして第1回目の模擬試験なるものを迎え撃つことになったのですが…
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