「赤本」を知らなかった高3の夏。でも生き方は色々あります【其の三・記念受験】
【記念受験】
もう夏の時点で「浪人宣言」をしていたので、勉強するのは基本定期試験の時だけです。
それも毎回決まったパターンの一夜漬けでした。
試験→ビリヤード→帰宅→仮眠→夕食→朝まで一夜漬け
我ながら本当に充実した試験生活…(笑)
浪人を決めている。
入試対策もしていない。
それなら受験する必要は全くないわけです。
しかしどういうわけか「一応記念受験だけはしてみようかな…」という遊び心が芽生えてきました。
私の頃は共通一次が廃止され、センター試験に名を変えて間もなくの時代だったでしょうか。
センター試験ならマークシートだし…全くわからなければ鉛筆を転がして…本当にそのぐらいの軽い気持ちでした。
その他にも私立大学を3校ほど出願してみました。
親には無駄金を遣わせたなぁと今更ながら思いますが、この辺が人生甘々に考えている「坊や」なのかもしれません、未だに。
さて、センター試験の結果は…
この結果が努力を全くしていない自分としてよかったのか悪かったのかは定かではありません。
ちなみに高校では国立文系コースにいたので、受験科目は文系以外に数学と理科(科目は…忘れました)でしたが、まぁ数学の結果が酷かったこと酷かったこと。
200点満点で70点取れたかどうかです。
このセンター試験のおかげで、何の抵抗もなく私立文系へと頭を切り替えられたことは言うまでもありません。
一方の私立受験。
確かM学院とW大学を受験したのですが、言うまでもなく木っ端微塵です。
それとなぜか福祉系の大学にも願書を出していました。これは…あるマンガの世界にハマっていたからです。
めぞん一刻という高橋留美子先生の作品なのですが、ここに出てくる主人公の五代くんが、最終的に保育園の先生になるという話がありまして…
何となくこの状況を変にオマージュしてしまったというかすっかり感化されたというか(実際、浪人を決めたという高3の夏に、障害児の施設でボランティアまでしてしまったという黒歴史も……)。
ただ、この福祉系大学の受験当日。思いっきり発熱しました。
母親には「無理して行かなくていいから」となだめられ結局受験は見送ったのですが、受験を止めた真相は他にあったということを後々聞かされました。
万一受験しに行っていたら(偏差値的に)受かってしまう可能性がある。
もしそこへ進学したとしても多分支えてやることはできないだろうと。
すぐに退学してしまうかもしれないと。要は私が福祉というものに対して中二病的な感覚で熱に浮かされていることを見抜いていたわけです。
実際福祉熱はその後すーっと醒めてしまいましたので…さすが「親」だなと感心したものです。
高3の受験はこれで終わったわけですが、試験といえば一夜漬けが得意な私です。
センター試験直前から付け焼き刃とわかっていながらも、とにかく一夜漬けの要領で詰め込みの学習をしました。この詰め込みが後々役立つことになるのですが…
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