サイパン島の森の中で出会った人 その4

前話: サイパン島の森の中で出会った人 その3
次話: サイパン島の森の中で出会った人 番外編

いよいよサイパン島北部の激戦地跡。

サイパン島は北東から南西に約9kmに亘って細長く横たわる島。

サイパン国際空港は島の南に位置し、ホテルなどがひしめくガラパン地区は島の半ば。

そして本日の目的地は島の北側にある。

ここは日本軍とアメリカ軍が最後まで戦った地域で多くの施設、兵器、そして碑が存在している。


向かったのはLast Command Post(最後の司令部跡)。

南から上陸したアメリカ軍に追い詰められた日本軍が最後に司令部を置いた場所と言われている。

芝生の植えられた公園のような所にいきなり機関砲、高射砲、戦車が現れる。

戦車は想像上に小さく砲身もショボい。これでは銃弾は防げても機銃は貫通するのでは?という感じ。

南の島まで運んでくるので日本人得意の小型化を施したのだろうか?

何かのモニュメントの様に置かれており、暗さや悲愴感は全く感じられない。

状況が変わってくるのは岩場に這う様に作られたコンクリート製の基地跡。

リーフの外に停泊していたアメリカ軍の艦船からの艦砲射撃が貫通した大きな穴が開いている。

また穴が開いていなくとも多くの傷が見て取れる。

島中逃げる場所が無いくらいに隙間なく囲まれた艦船から雨の様に砲弾が降ってきたというから、いくら厚いコンクリートの壁の中に居ても砲弾の炸裂する音と振動で生きた心地はしなかった事だろう。


次いで有名な「バンザイクリフ」へ。

正式名称はプンタンサバネタ。

アメリカ軍に追い詰められた兵士や民間人が投降勧告にも拘らず断崖から眼下の80mもの海に身を投じた地である。

太平洋の荒波に浸食された崖は垂直に切り立っていて、海は海中の岩にぶつかっているのであろうか白く砕けて飛沫を上げていた。

ここから身を投げるという事はどうしようも無いほど追い詰められていたのであろう。

どうしようもない絶望感。

物言わぬ海がそう語っている様に感じられました。


この日の最終目的地は「右翼」が是非見たいと言い出した「第XXXX部隊慰霊の碑」。

地図を手に車を走らすのだが段々と海岸線を離れ山を登っていく。

案内板の類は一切無いし、まだカーナビが無い頃なので地形と「勘」が頼り。

「多分この辺だよな」という辺りで車を止め徒歩で散策。

道は舗装されておらず周りはバナナの木。

分かれ道にぶつかった所で、

「俺は左だと思う」「いや右だ」と大声で言い争っていた所、突然、木の間から人影が飛び出してきた。

(襲撃か⁉︎)

よく見ると現地人の老人だった。

(戦争を経験しているだろうから半日感情が強いのでは?)

そんな思いが我々の頭をよぎった。

「どうしたんですか?道にでも迷いましたか?」

驚いたことに老人の口を発したのは「日本語」。それに口調も極めて和やか。

「はい、実はかれこれという碑を探していたのですが見つかりませんで。」

「ああ、それならその角の後ろだ。」

数歩歩くと開けた場所があり綺麗に清掃がされた場所にその碑はあった。

我々はその老人の目を気にしながらも祈りを捧げた。

思いがけない言葉がその老人から出たのはその時だった。

「日本がいた頃は島は良かった。」

耳を疑った。

「おじいさん。日本は戦争をして島を占領したんでしょう?」

「そうだけど日本人は色んな機械や道具を持ってきて一緒に畑を耕し作物を植え育てて島を豊かにしてくれた。

それに学校も立てて日本語や算盤を教えてくれた。

それで皆んな仕事が出来た。」

老人は遠くを見やる様な仕草をした。

「でもな。アメリカが来て勝ってどうなったと思う?」

我々は顔を見合わせた。

「日本人の作った農場や工場を壊し、その代わり援助物資の缶詰だなんだと皆んなアメリカから持ち込んだ。それで誰も仕事をしなくて毎日ゴロゴロしている様な生活になってしまった。」

深く溜息をつくと、その老人は再び言った。

「日本がいた頃は良かった。」



続きのストーリーはこちら!

サイパン島の森の中で出会った人 番外編

著者のTachibana Toshiyukiさんにメッセージを送る

メッセージを送る

著者の方だけが読めます

みんなの読んで良かった!

STORYS.JPは、人生のヒントが得られる ライフストーリー共有プラットホームです。