変えられる進路と変え難い進路 その2

前話: 変えられる進路と変え難い進路 その1
次話: 変えられる進路と変え難い進路 その3

高3の1年間は本当に疾い。年末になると通常授業はほとんど無くなり受験勉強。そんな中でも皆んな焦りは無く委員会室に集まってトランプなどに興じていた。もう少し真面目に勉強してればなぁ、と言うのは後の祭りであった。

受験勉強も結構不真面目で第一志望の国立大学の過去問や模擬試験は受験していたが、滑り止めは元々受かれば行くか考えようと思っていた私学の2学部以外は単純に東京にある大学の中から偏差値順に選んだだけ。過去問どころか選択科目が何なのか試験現場で分かったという酷い有様。

最も、模擬試験の結果で予備校2校の国立大学コースと東大コースへの入学資格を得ていたので、(あと1年あるさ)と考えていたのも事実。

ところが第二志望の私大に合格。

問題はここだけ学部が「政治経済学部」であったこと。そこの政治学科。

元々、本大学の創設者が「これからは政治と経済は一体のものだ。」と言って設立、その中でも政治学科は比較憲法等の「看板学科」だった。

法学部だったら迷わず入学して司法試験を目指していたかも知れない。

しかし政治学はとなると全くイメージが湧かない。

「政治過程論」を教えていた選挙の度に解説をしていた教授は授業では「日本の政治学はアメリカの政治理論の輸入品と言い切る始末。

マスコミにも多くの人材を輩出しているが「マスコミュニケーション理論」だの「マスメディア理論」は異国の言葉で講義が行われているとしか感じなかった。

これらは入学してから分かった事なので入学前にはもっと訳がわからなかった。

本人の中では一浪に6割がた傾いていたが両親が折角私学のトップの看板学部に合格したのだから入学して欲しいと強く希望。それを受け入れることとなったが、この決断が今日に至るまで後悔の種になるとはその頃は想像だにしていなかった。


入学したものの司法試験への未練は捨てがたく、独りで図書館で勉強をしていた。

とは言え独りでの勉強はシンドく辛い。気分は暗くなるばかりだった。

そうこうする内にに法学部の校舎をウロウロしていたら「司法試験受験サークル」なるものが存在する事を知った。3つのサークルがあり少しずつ性格も違う様であった。

結局、一番小さく元の第二法学部という夜間の生徒達が作ったサークルの門を叩いた。

その頃は今とは違って政経学部から司法試験を受けるものは皆無ではなかったが多くなかった。

今だと例えば橋本前大阪市長なんかが政治経済学部出身の弁護士。

サークルにも何人かの政治経済学部のメンバーがいたが卒業迄には転向をして一般企業へと就職していった。

法学部の連中でも卒業後3年程度掛かるのが普通。そうなると万が一合格ができないと今の様に「第二新卒」という言葉もない時代であったので就職も難しく文字通り人生を賭けることになる。

兎に角一緒に学ぶ仲間ができたことは大きな喜びだった。

「ゼミ」と言って先輩が後輩に教える授業の他に休みの間には「合宿」。

飲み会、所謂、「コンパ」も楽しみだった。

4年生まで在籍していたのは10数名。

半数くらいが大学に残って司法試験への挑戦を続けて、そのほとんどが合格している。

弁護士が多いが、検事になり昨年、津地方検察庁の検事正(トップ)に就任した者もいる。

大学で「何を学んだか」も大事だが、「何をやり遂げたか」は最も大事であることの証左であろう。


結局、企業に就職したが政治学の知識が役に立ったことは無かった。


著者のTachibana Toshiyukiさんに人生相談を申込む

続きのストーリーはこちら!

変えられる進路と変え難い進路 その3

著者のTachibana Toshiyukiさんにメッセージを送る

メッセージを送る

著者の方だけが読めます

みんなの読んで良かった!

STORYS.JPは、人生のヒントが得られる ライフストーリー共有プラットホームです。