変えられる進路と変え難い進路 その4

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ここで人生、そして職業上の大きな転機。シンガポールの現地法人の経理責任者として海外駐在。経理なんてやったこと無いし、監査にも対応しなければならない。

(実務をやったこと無いからなあ。)

特に監査は監査法人がする事で分かっていたことは、レポートを作成してサインすること。

その上、その実務をやるのが現地人。

ただ単身赴任だったので時間は十分にあった。

また「財務諸表論」や「監査論」は大学院で科目としては履修していた。

そこでオーチャード通りの高島屋、現地では「義安城」内にあったKINOKUNIYA(紀伊国屋)に週末毎に通い日本語の「英文会計」の本や、英語の「Cost Accounting」「Auditing」、遂にはシンガポール税法の原文をも手に入れて読みまくった。

監査の際も本当はやってはいけないのだが、現地のやる気の無い若い会計士に、

「どんなデータを入れて何を見ているのか教えてくれたら必要なデータを探して入れてやるから。」

と言って監査用のファイルを貰い、会計士がどこを見ているのかを学んだりした。

シンガポールでは2年間滞在したが折角学んだ英文会計をより極めたくなり、シンガポールから日本の外資系企業でのファイナンスの職探しをした。

ここでは累計10年間勤務。最後はファイナンス部門のトップまで務めたが、突然、日本の会社に売却されることとなった。

良かったもは買収された会社が東証一部に上場しながらNASDAQというアメリカの新興企業向けの株式市場にも上場されていたこと。

意外かもしれないが外資系企業の日本法人にいると余りアメリカの会計基準上の論点に関する議論が起こることが無い。しょせん支店みたいな感じであろう。

ところがこれがアメリカに上場している日本企業だとアメリカの証券取引規制当局から質問がバンバンと飛んでくる。その質問がアメリカの会計基準の実に「重箱の隅」を突っつくような話が多く、英語国民で無い身には相当に厳しい。

それでもシンガポール以来の勉強で会計基準も一通りは分かっていたので「論点」は分かっていたので厳しいながらも良い経験であった。


買収されたということは所詮、子会社なので外資系企業とはまた別の上下関係に甘んじなければなら無い。英語を使う機会もバッタリと減った。

自分のバリューを最大限活かす為には外資系企業に戻った方が良いと段々思い始めた。

移るのなら売却の移行が終了した段階が、「何か」をやり遂げたという意味で説明しやすい。

余り長く「日系企業」にいると外資系としての「鮮度」が落ちてしまう。

もしかしたら既に鮮度が落ちていると評価されてしまうのかも知れない。

そこで考えたのが「米国公認会計士」の資格を取ること。

当時は4科目を日本以外で受験、合格しなければならなかった。

アメリカ人の場合で一科目の合格率が40%程度だから死にそうに難しい訳ではない。

通信講座を取って週末と通勤の際を中心に勉強。

初めの2科目は一科目ずつ。

残りの2科目は一緒に受験。いずれも一回で合格をすることが出来た。

最後の仕上げとして「ライセンス」の取得。アメリカ以外での業務経験でライセンスを発行してくれる州は少ない。そんな州の内の一つがワシントン州。

職務経歴書を英語で書いて、既にライセンスを持っている米国公認会計士に証明のサインをしてもらい申請書をワシントン州の公認会計士協会に送る。

一ヶ月程して大きな荷物が届き、中には待ちに待った「ライセンス」が入っていた。

こうして大学卒業30年間余り50代になって「米国公認会計士」となった。


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