オーストラリア留学中にネット中傷被害に合い、裁判を起こした話(15)

前話: オーストラリア留学中にネット中傷被害に合い、裁判を起こした話(14)

クリニックへ行く

翌日、Reikoさんに予約してもらった街の中心部にあるクリニックに向かった。

このクリニックは、小規模なショッピングビルの中にある。

このビルには買い物やお手洗いを利用する為に何度も訪れたことがあったが、今回予約してもらったクリニックに行くのは初めてだった。

私がいつも利用していたクリニックは、主に日本人をターゲットにしたクリニック(受付に日本人スタッフがいる)だったのだが、今回のクリニックが普段利用していたクリニックではなくて良かったと内心思った。

私が普段お世話になっていたクリニックの先生は非常に親切で信頼できる方だった。留学1年目から運悪く度々体調を崩したり怪我をしたりで私はこの先生のお世話になっており、先生は私が現地の専門学校で学ぶ学生であることを認識していた。当時の私は、すでに私のことを知っている先生に、今回こんな事件に巻き込まれてしまったこと、ショックのあまり学業に集中できず支障をきたしていると話すことに抵抗があり、とても恥ずかしく感じていたからだ。今回、初めてのクリニックで知らない先生に診てもらえることは、むしろ好都合だった。


クリニックに着き、受付を済ませて待っていると名前を呼ばれたので診察室に向かった。このクリニックは比較的規模が大きく、複数の医師が各診察室で同時に診察を行っている。

今回、私を担当してくれたのはアジア系の若い男性医師だった。

私は医師に、インターネット上で知人から中傷を受けていること、警察にも行ったが特に何も対応がなく、それ以来気持ちが落ち着かず授業にも集中できずに困っていること、感情のコントロールができず、楽しそうにしているクラスメートを見るだけでも怒りがこみ上げてくることを端的に説明した。

私が話し終えると、医師はただこう答えた。

「不安な気持ちを静める薬を出します。それを飲んで、様子を見てください。」


5分もかからない、あっという間の診察だった。

クリニックでもらった処方箋を手に、クリニックのすぐ隣にある薬局へ向かった。

処方された薬は錠剤で、小さな小瓶に入っていた。薬の名前も今となっては思い出せないが、瓶のラベルには 「anxiety(不安神経症)」という文字が入っていたので、おそらく抗不安薬の一種だったのだと思う。


早速その日から飲み始めたが、「本当にこんな小さな錠剤が効くのかな・・・」というのが正直な感想だった。本当にこの薬を飲むことが自分にとって良いのかは疑問だったが、その日から私はまるでお守りのようにこの小瓶をバッグに入れて、常に持ち歩くようになった。


一からやり直したい気持ち

クリニックへ行った日は、2013年3月13日(水)。

Deanaから嫌がらせが始まったのが2月26日(火)。この2週間、警察から操作の進展について全く情報は無かった。担当の警察官、マイクと話をするために電話をかけたり、直接警察署を訪れたりと私から連絡は取ろうとしていたが、マイクは外出していたり夜勤があったりでなかなかタイミングが合わず、もどかしかった。唯一の連絡窓口はマイクのみ、他に話せる警官はいない。

自分
チェルシーからのスクリーンショット、これが証拠になればDeanaは罰せられるんでしょ!?Deanaがはっきり自分がやったって認めてるのに、なんで何もしてくれないの!?
マイク
前にも言ったように、このスクリーンショットを証拠として捜査に使用するには、提供してくれた君の友人(チェルシーのこと)の名前と連絡先を提示してもらう必要がある。君の友人がそれに同意してくれない限りは、証拠としては採用できない・・・。

チェルシーは自分の名前と連絡先を警察に知らせることを断固拒否していた。これ以上、一切Deanaに関することには関わりたくないという意図があったからだ。Deanaのことだ、万が一チェルシーが私に協力をしていたことを知ったら、次の標的はチェルシーになるだろう。

それまでに何度かチェルシーに名前を提示してもらえないか私から頼んだのだが、チェルシーの意思は固かった。チェルシーは私を通してDeanaと知り合った。私がDeanaをイベントに連れていかなければ・・・チェルシーはこんな面倒なことに巻き込まれる必要は無かったのだ。それなのに、チェルシーは嘘をついてまでDeanaに連絡を取り、決定的な証拠をつかんでくれた。これ以上、嫌がるチェルシーに頼むことなんてできなかった。


疲れた・・・。もう嫌だ・・・。


なんで新しい学校が始まったばかりだというのに、こんな邪魔をされなくちゃいけないの???

私が一体何をしたの???

同僚、友人、家族・・・多くの人たちが留学に行く私を送り出してくれた。

せっかく手に入れた、大企業の正社員という立場を捨てて、オーストラリアに来た。

仕事は辛いことのほうが多かったくらいだが、お金の不自由もなく、十分東京で好きなことができる生活だった。


Deanaを拒否したのは私じゃない・・・

なんで私なの??????????

あんたを拒否したのはMamiじゃない、あなたの大好きなアイなんですけど!!

攻撃されるべき相手は私じゃない!!!!なのになんで??????


悔しかった、本当に本当に悔しかった。


自分
学校を辞めて、どこか別の学校で一からやり直したい・・・。メルボルンなんてもううんざりだ!

私が通っていた学校も含め、オーストラリアの公立専門学校(TAFE)や大学の入学時期は通常2月で、コースによっては7月にも学生を受け入れている場合がある。そのため、3月に私が今の学校を辞めたとしてもすぐに入学できる学校を見つけることは難しい。7月まで待っていると、そのぶん卒業時期も遅れてしまう。また、私のビザは学生ビザ。現在通っている学校を辞めるとビザも一旦取り消しとなり、新しい学校を見つけてまた学生ビザを取り直す必要がある。

メルボルンには他に私立の専門学校もあり、グラフィックデザインコースもあることにはあるのだが、このような学校では留学生を受け入れておらず、学生ビザを申請すること自体が不可能だった。

自分
ニュージーランドなら受け入れてくれる学校があるんじゃ・・・

必死で調べた。懐かしいニュージーランド、初めて長期滞在した思い出がいっぱいの国。

幸運にもニュージーランドでの1年間はトラブルにも巻き込まれず、楽しい思い出ばかり残った。


調べてみると、ニュージーランドのある専門学校がグラフィックデザインコースを開講しており、留学生も受け入れ可能、5月からの入学もできることがわかった。

まったく今振り返ると、本当に自分はバカか?と言いたくなるのだが、この当時は真剣そのもの、怒りと焦り、そして悔しさが間違った方向に働いていたとしか思えない行動だった。


私の心はすでにニュージーランドにひとっ飛び、メルボルンからは一刻も早く離れたかった。


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