SATCのキャリーに憧れていたOLの私が、週休5日で年収1000万円になるまで
前回、右も左もわからぬまま始めたブログだったが、今回は意気込みが違った。ちゃんとしたサービスメニューも作ったし、自宅サロンの場所も明記した。うまくいっている人のブログを研究して「これは良さそう」と思ったものは、すぐに取り入れるようにした。
ブログには「アクセス数」というものがある。どれくらいの人が、どれくらいのページを閲覧してくれたのかというのが、わかる機能だ。
これを見て一喜一憂することが私の日課になった。
「おお、今日はかなりのアクセス数があった! よかった〜」
「今日の記事はだめだ。こないだのはよかったのに、何がいけなかったんだろう……」
どういう記事を、どんな風に書けばアクセス数が増えるのか……それを試行錯誤する日々。本やネット、セミナーで得た情報は、すべて試し、トライアンドエラーを繰り返した。
そこから、「自分のブログ」を育てていった。
この過程はとても楽しかった。自分の発信したことに、知らない誰かが反応してくれる。これに私は完全にハマった。だから来る日も来る日も、仕事が終わると深夜までパソコンの前にいた。
画像出典「the guardian」Carrie with her Mac. Photograph: HBO/Everett/Rex Features
ブログの中で「あなたにぴったりの雑誌診断」という企画を打ち出したり、1着のアイテムでどれだけ着まわせるかというのをシリーズにして書いたりと、思いついたアイデアはすべて試した。その甲斐があってか、少しずつ申し込みが入るようになった。
そう、まだその頃は司会者と、おまけに所属していた司会事務所の事務の仕事をしていた。その2つの仕事だけでも息つく間もないほど忙しかったのに、起業もして、一応主婦でもある。2足のわらじならぬ、3足4足のわらじだった。
朝起きて、朝食の用意と軽い家事、身支度をして司会事務所の仕事へ。電車の中でブログのアクセス数のチェックをしたり、メールの返信。会社では普通に仕事をしながら、時間があるときには新しい仕事のことを考えていて、アイデアがいつも溢れ出していた。夕方になると、パーソナルスタイリストとしての予約が入っているときはそのまま、借りていたレンタルサロンへ。仕事帰りのお客様のファッションコンサルティングをして、終わると時間は22時頃になっていた。帰りの電車の中ではブログを書き、家に帰ってもパソコンへ。あのときは夢中で何も思わなかったけれど、今考えるとよく働いていたと思う。
「忙しくてできない」という声を聞くことがある。本当にやりたいことがあれば、人はなんとしてでもやろうとするはず。時間はどうとでも作れるし、やり方はごまんとある。
ただ、自分のなかのプライオリティーの問題。「やりたい」と思っていることよりも、
いま抱えていることや、自由な時間の方が優先順位が高い場合、そちらに時間を割くことになる。
「やる」「やらない」もすべて、答えは自分のなかにあるのだと思う。
そんな風にスタイリングの仕事に没頭していった私。
申し込みは順調に増え、プレオープンしてすぐに、自宅サロンから名古屋駅すぐのエステサロンを間借りしてサービスをするようになった。そして正式オープンの半年後には、自分で名古屋駅近くにサロンを持つまでになったのだ。
順調だったと思う。
楽しかったし、何度も言うが、無我夢中だった。
でも、私が仕事に夢中になりすぎて、壊れてしまったものもあった。
それが「夫婦関係」。
原因はもっと他にもたくさんあるけれど、私が外の世界に目を向けすぎてしまったことも少なからずあった。
ふたりの価値観や考え方がどんどんと変わっていって、私たちは離婚を決意した。
サロンを正式オープンして1年後のことだった。
お金がない中での離婚と、そこから始まった本当の「自立」
この頃は、起業したてということもあり、本当にお金がなかった。
資格取得や勉強代、道具や家具を揃えたり、サロンを借りたり、とにかくお金が出ていく時期だった。そのなかでの離婚。
さすがに実家に帰ることも考えたが、家族と話し合って、とりあえずやれるところまでひとりでやってみようということになった。
ここから私の本当の「自立」が始まった。
サロンとして借りていた物件は、住むことができなかったので引き払い、2部屋あるマンションを借りて自宅サロンという形にすることにした。
引っ越したのはちょうど冬で、本当に寒くて心細かったのを覚えている。
「来月はちゃんと家賃払っていけるだろうか……」
そんなギリギリのやりくりが数ヶ月は続いた。
他で収入を補おうとしてバイトの求人情報を見たことも、一度や二度じゃない。でもそのたびに、そんな時間があるのならブログを書こうと、不安と焦りのなか、毎日ブログを書き、その気持ちを抑えた。
周りの人からは、「頑張っていてすごいね」って言われることも多かったけど、ただ私は、そうしていないと不安だった。
だから、毎日、いまできることをひたすらやり続けた。
未来への不安から、いま「これをやるべきなのかも……」と本当は気が乗らないことをやるのではなく、自分の未来に自分が一番期待して、目の前にあるワクワクすることをやるのだ。この考え方を、私はこのとき身につけたのだと思う。
「できるできる!」が口癖に
そうやって目の前のワクワクすることに全力投球していくうちに、離婚して半年が過ぎ、収入が月50万円を超えるようになり、それが安定してきていた。
積み重ねた小さな成功体験が、すこしずつ私の自信となっていった。
そこから、
「できるできる!」
これが、私の口癖になった
自分が「できた」から人にも「できるよ!」と言える自分に自然になっていった。
そうしたら、もっと自分も「できる」ようになる。
このプラスのスパイラルがとても楽しくて、私は人にも自分にも「できるできる!」といつも言っていた。
いま、本気で思うことは「できないことはない」ということ。
起業当初「年収1000万円になりたいんです!」と言ったら、鼻で笑われたり、
数年前に「本を出したいと思っていて」と言ったら、「甘い! そんなの無理だよ」と批判されたことも少なからずあった。
そんなことがあるたび、落ち込んだりしたけれど、
自分さえ「自分の未来」を信じていれば、「やってできないことはない」のだと、いま自信を持って言える。
画像出典「FOX Japan」Carrie Bradshaw, Sex and the City
いま、私はあの頃あこがれていたキャリーのように、「好きなことを好きな時に好きな場所で好きなだけ」な人生を送れるようになった。
自宅の窓際のデスクで、家の近くのカフェで、ハワイのホテルの部屋で……
仕事ができている。
そして、大好きなパートナーを一番大切にできる働き方を選べている。
・誰にも遠慮のない、正直な気持ちで未来のビジョンをかかげ
・人生を本気で楽しむ
・目の前のことに集中する
これができてさえいれば、きっと夢はどんどん叶っていく。
あなたの人生はもう、思った通り♡
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