僕が骨髄提供した時の話 〜その後 2005年11月追記〜

前話: 僕が骨髄提供した時の話 〜退院後〜
[ その後 2005年11月追記 ]

以前にも書きましたが、 ドナーと患者は2度まで文通することができます。 
1度目は退院の日に届いており、2度目が患者さん側と接触する 最後のチャンスです。 

先日、その2度目にして、最後のお手紙が届きました。 
僕の提供相手は、幼い男の子だったため、 お母さんからのものです。 

息子さんは、残念ながら天国に旅立ってしまったのだそうです。 
移植自体は成功したものの、2年間の治療で小さな体は 限界を越えていたと・・・。 

手紙は、息子さんに対する愛情がいっぱいつまっていました。 
(一部抜粋) 
短い人生でしたが、息子は精一杯生きてくれました。 
私はあの子を産んで幸せでしたよ。 
時々、夢に出てきて、天国で元気にしていることを教えてくれます。 
最近は三輪車に乗れる様になったみたいです。 

骨髄提供は、白血病の患者さんにとって、 数少ない治療方法の1つですが、完全なものではありません。 
提供を受けることで治癒する人もいれば、そうでない人もいる。 
そんな単純なことを改めて痛感しました。 

そして、僕に対する感謝の気持ちもたくさんつまっていました。 
ドナーが見つかった日の喜び、移植前日の不安と希望、 移植中の息子さんの顔、全ては提供してくれたお陰だと・・・。 

辛く、悲しいけど、トータルで考えると提供できたことを幸せに思います。希望を与えてあがられたことは事実だし。 

最後に、天国に旅立った男の子には心よりご冥福をお祈りします。

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