英語の仕事をするという目標を10年かけて叶えた私が、英語で仕事をしたいと考えているあなたへ伝えたいこと

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採用が決まったときは本当にうれしかった!

地元でみちみちと地味にここまで頑張ってきた(と自分では思っている)努力が、やっと報われたような気がした。ドーナツをかじりながら外国人スタッフが部屋に入ってきて「Welcome to Hiroshima!」と私の顔を見て言った。私はこの会社の一員になった。

あとからわかったことだけれど、このとき会社は大変な状況だった。営業から経理までなんでもこなす女性社員が、体を壊してぱったりと会社に来なくなり、そのまま退職してしまったらしい。そんなポジションの後任に入るわけだから、引継ぎなんかも全くない。仕事を覚えるのはほんとうに大変だった。

しかも、私にとって初めての「外国人と一緒に仕事をする」という環境。これまで、わりと安定している地元企業で、年功序列・終身雇用の文化の中、ぬくぬくと派遣社員を続けていた私には、何もかもが衝撃だった。「業務マニュアルとか別にないから、自分で考えて最適なやり方で自由にやってね。」という方針。初日から日本語と英語が飛び交う中、即戦力が発揮できなければ居場所はない。中でも一番衝撃だったのは、自分自身のことだ。何が衝撃だったかというと、

「英語が使えない」。

…そう、外国人メンバーが何を言っているのかわからなかったのだ!ネイティブの外国人から電話もじゃんじゃんかかってくる。欧米諸国だけではなく、アジア、南アメリカなど、英語公用語圏出身のメンバーもたくさんいた。名前すら聞き取れない。

そういえば、よく、

「TOEICリスニング満点なんてすごいですね。映画とか、字幕なしで見るんですか!?」

と人から聞かれるたびに、ええとかまあとかごまかしていいたのだけれど、実は私、字幕なしの映画鑑賞では、ほとんどせりふを理解できたためしがないのが事実。TOEICリスニング満点。本当です。

周りのメンバーは素晴らしかった。出身国など関係なしに、てきぱきと仕事を進め、ときにはジョークをとばしながら、チームワークで大きなプロジェクトをどんどん成功させていく。聞けば、特に語学系の難しい資格を持っているわけではない。

「高校のとき、英検2級をとったかなー。でも僕、勉強キライだから。」

「オーストラリアを放浪して英語が話せるようになった。」

「趣味でラテンダンスを習っているときに出会った外国人と結婚したから、家では英語。」

彼らは魅力的な人たちだった。彼らが内側に秘めた思想やユーモアといったものが、色彩豊かなコミュニケーションとして溢れ返っている職場だった。文脈や背景をダイナミックに共有するそのチームワークにおいて、文法や発音なんか誰も気に留めてもいなかった。

私はまったくペースについていけていなかった。外国人メンバーから何かをとっさに尋ねられたとき、

(どう答えていいのだろう!?)

と、必ずといっていいほど固まるのがおちだった。

私はこれまで10年間、せっせと「学習」にいそしむ中で、ものすごく大切なことを見落としていた。英語は「コミュニケーション」のツールなのだということを。辞書によると「コミュニケーション」とは、

「互いに意思や感情、思考を伝達し合うこと。」

とある。今さらすぎるこのタイミングで、やっと私は本質を理解した。これまでの自分の歩んできた道が立体的に立ち上がり、見せることのないその背面を、はじめて私に見せつけたような気がした。

コミュニケーションとは、自己と他者、相互をつなげる行為。伝えたり、伝えられたりすることで、お互いに反響し合う。新しい価値観や、モノ、コトすべての創造がそこから始まる。

外国語は、話したい相手に伝えたいことがなければ、持っていたって何の意味もないただの「知識」にすぎない。携帯電話が、話したい相手や伝えたい内容がなければ全く意味がないただの「モノ」であるように。

なんということでしょう。私は、10年間かけて、持っているそこそこイケてる携帯電話がとにかく最高にかっこよく見えるよう、大事に磨いていただけなのだった。そしてまた、私自身は、海外生活やコミュニケーション経験がほとんどない状態で、ただクイズ感覚のみでTOEICのデータを丸呑みしていくとこんな人間ができますよという悲しい標本になっていた。テキスト通りの会話は、テストにしか出てこない。クライアントのアポを取り付けるのは、ダイアローグのように簡単なことではない。プロジェクトの一面が成功したからといって、国籍や文化の違う社内の全員が手放しで喜んでくれるわけじゃない。誰かの役に立つような仕事を成し遂げ、共感や信頼といったかけがえのない財産を得るためには、知恵や意地、本当の社会を生き抜くタフな力が必要なのだ。

現在、私は、この会社に入って7年目になろうとしている。この会社で走り続けた30代。社員の英語能力向上や異文化理解についてクライアントからご相談を受け、それに対する提案をさせていただくようにもなった。

「TOEICのスコアは悪くないのに、全く話せない。」

「新入社員のモチベーションを高めたい。」

「日本人メンバーが、会議で存在感を発揮できない。」

「実務能力も語学能力も高い社員が、海外赴任で鬱病になった…。」

彼らの話をしっかりと聞き、よいものを、外国人チームと一緒に、全力で創り上げるために、信念をもって私は伝える。

「英語が正確であることより、異文化を生き抜く心と、交流する知恵をもつことが大切です。」

そして最近私はよく考えるようになった。「仕事をするって、どういう意味なんだろう」と。それは20代の頃には全く気がついていなかった問題提示だ。仕事を通じて何を実現し、誰に貢献し、その足跡をどこに残したいのか。

この答えは今も模索中だけれども、自分視点においては、ひとつだけいえることがある。結局は、学びであろうと仕事であろうと遊びであろうと、それらはすべて自分が「どういう人間になるのか」を決定する一つの要素であって、ゴールではないということ。

もちろん好きで得意であることがあるならばそれを続ければいいし、運よくそれを活かした仕事に就くことができれば、さらなる高みを目指していけばいい。でもそこで満足して、歩みを止めてしまうことはとても危険だ。

なぜならあらゆる物事には背面があり、多くの場合、その背面に、自分に大きな成長をもたらす啓示が書かれているからだ。50代、60代、その先になっても、人生は続く。会社員として期待されるという大前提がなくなるときがくる。そのとき私は「どういう人間になるのか?」きっと、手相にはそこまで書かれていない。それは自分が決めることだ。

最後に、英語で仕事をしたいと考えているあなたへ。

その語学力を、何のために使いたいですか?

何を実現したいですか?

どんな人間になりたいですか?

ぜひ、わたしにも教えてください。

「…英語の成績よくないけど、世界を体験してみたい。」

全然、大丈夫!

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