社会から逃げる勇気を持つ、ということ

<

2 / 2 ページ

著者: ジュン カタオカ

「そんなことはない!がんばってたら、誰かが認めてくれるさ!」

それに期待するのも選択の一つですが、

でも頑張った末にカラダを壊して休職したり、ギックリ腰になったとしても

「人居ないから。業務だけは続けれるよね?」みたいな悪魔の命令を平気で下す、

そんな奴らがのさばり続けている世界を見たり、聞いたりしてきました。


そんな状況で「頑張るものは必ず救われる」なんて言う人をみると、

現実見てモノを言えと言いたくなります。マジメな話、デタラメすぎて笑えてきますから。


確かに頑張るのは大事ですけど、その頑張りは別にしなくていいぜって思ったりもします。


あなたが頑張るべきは、自分が働かなくても良いようにする為の、

仕組みを作ることだけに尽力すべきだって、そう考えます。間違っても自分だけをガンガン働かせることじゃない。


将来的なことを見たら、

いっときの金と引き換えに時間やら自身の身やら、色んな大事なモノを失い続けますから。

頑張った末に職を失ったり病気になる。


そんな人達が居るにも関わらず生保は、意味不明な謎の輩を入れ続け、

本当に生保が大事な人達を入れさせずに放っておいたりしてるし、労基だってまったく役立たず。

(参照 何が生活保護だよ・・。)


頑張った引き換えに、それが報われる保証はどこにもない。

頑張りどころを間違えると、命を落としかねないんです。

逃げ道は、自分で切り拓け!

むしろ、がんばればがんばるほど身を滅ぼす会社だってあります。

それが世に言う「ブラック企業」その存在。それらのクソ会社のせいで悲惨な目に遭ってる人は、

まだまだ沢山居るでしょう。


その人を誰が守ってくれるのかといえば、残念ながら誰も守ってくれません。


仮面ライダーや黄門様みたいなヒーローが現れるワケないんだし、労働の世界でも、

抑えられて雇われ続けるならば、常に上からの重圧で日々を暮らしていくしかありません。


不安と不満と葛藤の日々です。

あと、法律や制度ってものは、あれは基本弱者を救うモノではありません。

本質を言えば「上手くつかったとき、初めて役立つモノ」となっているんです。

なのであの法律そのものがどうにかしてくれるってモノではなく、

単なるルールブックにすぎないんです。なので勉強なり身に付ける努力なりしさえすれば、

自ずと法律を使って戦えるようになるってことなんです。


間違っても「これだけ酷い状況だ!法律が守ってくれる!」

なんてのは、甘っちょろい戯れ言です。法律や制度に期待を寄せるだけ、無駄。


それを行使するのはルールブックの中身を理解した自分であり、

また、法律でどうにも出来ないと知った時、他に金を稼ぐ道は無いのか?と探すのも、また自分です。

要するに何事も行動しないとどうにもなんねーよ、という。そんなお話です。


仮面を被ったイエスマン


企業へ向けてNOというのは、とても勇気が要ります。

でも、特ブラック企業へ入った人へ対して、

「会社にNOを突きつけた人だけはが、守られるんだ!」という言葉は、間違ってると思うんです。

それができたら困りゃしねーよって人が、この世に何人居るか。


残業代どころか賃金を一円も貰えなかった人が、

上司や会社に向けてNOなんて言えるワケがないんです。NOって結構縁遠いですよ。

そしてもし、あなたの立場でも考えてもらいたいんです。


あなたがそれなりの立場になったとして、仮に僕から

「その働き方はおかしいぞ、違法やぞ」って言われたところで、

会社を改善させようと動き出す人は皆無なのではないでしょうか。


会社にNOを言えるのは、日本でいうとメチャンコハードルの高いことです。


職場で困った事があったら労基に加入しようとか、ストライキしようとか、

弁護士団立ち上げて直訴しようとか、そういう人はほとんど居ないハズです。


だからこそ僕は何かあったら、

いつでも逃げれるような準備を怠らないし、会社とも戦わない方法を選ぶべきだなと思ってます。


僕自身も、基本的にイエスマンな臆病者なので。

イエスマンで居続けて、反面逃げる道も作るという、ね。


闘って疲弊するよりは、誰も知らないところで収益の柱を作って、

そっちの道で食うようにした方が全然マシですからね。

戦いたく無い人のための、逃げの戦術です。これは。


なので、NOと言わない場合のことを真剣に考えてみてもらいたいのです。


押し黙るか。別の逃げ道を探すのか。

そういう逃げる選択肢を取ろうとおもったら、是非一言声をかけてください。

その選択を提示するのが、僕の役目です。

著者のジュン カタオカさんに人生相談を申込む