社会から逃げる勇気を持つ、ということ
「そんなことはない!がんばってたら、誰かが認めてくれるさ!」
それに期待するのも選択の一つですが、
でも頑張った末にカラダを壊して休職したり、ギックリ腰になったとしても
「人居ないから。業務だけは続けれるよね?」みたいな悪魔の命令を平気で下す、
そんな奴らがのさばり続けている世界を見たり、聞いたりしてきました。
そんな状況で「頑張るものは必ず救われる」なんて言う人をみると、
現実見てモノを言えと言いたくなります。マジメな話、デタラメすぎて笑えてきますから。
確かに頑張るのは大事ですけど、その頑張りは別にしなくていいぜって思ったりもします。
あなたが頑張るべきは、自分が働かなくても良いようにする為の、
仕組みを作ることだけに尽力すべきだって、そう考えます。間違っても自分だけをガンガン働かせることじゃない。
将来的なことを見たら、
いっときの金と引き換えに時間やら自身の身やら、色んな大事なモノを失い続けますから。
頑張った末に職を失ったり病気になる。
そんな人達が居るにも関わらず生保は、意味不明な謎の輩を入れ続け、
本当に生保が大事な人達を入れさせずに放っておいたりしてるし、労基だってまったく役立たず。
(参照 何が生活保護だよ・・。)
頑張った引き換えに、それが報われる保証はどこにもない。
頑張りどころを間違えると、命を落としかねないんです。
逃げ道は、自分で切り拓け!
むしろ、がんばればがんばるほど身を滅ぼす会社だってあります。
それが世に言う「ブラック企業」その存在。それらのクソ会社のせいで悲惨な目に遭ってる人は、
まだまだ沢山居るでしょう。
その人を誰が守ってくれるのかといえば、残念ながら誰も守ってくれません。
仮面ライダーや黄門様みたいなヒーローが現れるワケないんだし、労働の世界でも、
抑えられて雇われ続けるならば、常に上からの重圧で日々を暮らしていくしかありません。
不安と不満と葛藤の日々です。
あと、法律や制度ってものは、あれは基本弱者を救うモノではありません。
本質を言えば「上手くつかったとき、初めて役立つモノ」となっているんです。
なのであの法律そのものがどうにかしてくれるってモノではなく、
単なるルールブックにすぎないんです。なので勉強なり身に付ける努力なりしさえすれば、
自ずと法律を使って戦えるようになるってことなんです。
間違っても「これだけ酷い状況だ!法律が守ってくれる!」
なんてのは、甘っちょろい戯れ言です。法律や制度に期待を寄せるだけ、無駄。
それを行使するのはルールブックの中身を理解した自分であり、
また、法律でどうにも出来ないと知った時、他に金を稼ぐ道は無いのか?と探すのも、また自分です。
要するに何事も行動しないとどうにもなんねーよ、という。そんなお話です。
仮面を被ったイエスマン
企業へ向けてNOというのは、とても勇気が要ります。
でも、特ブラック企業へ入った人へ対して、
「会社にNOを突きつけた人だけはが、守られるんだ!」という言葉は、間違ってると思うんです。
それができたら困りゃしねーよって人が、この世に何人居るか。
残業代どころか賃金を一円も貰えなかった人が、
上司や会社に向けてNOなんて言えるワケがないんです。NOって結構縁遠いですよ。
そしてもし、あなたの立場でも考えてもらいたいんです。
あなたがそれなりの立場になったとして、仮に僕から
「その働き方はおかしいぞ、違法やぞ」って言われたところで、
会社を改善させようと動き出す人は皆無なのではないでしょうか。
会社にNOを言えるのは、日本でいうとメチャンコハードルの高いことです。
職場で困った事があったら労基に加入しようとか、ストライキしようとか、
弁護士団立ち上げて直訴しようとか、そういう人はほとんど居ないハズです。
だからこそ僕は何かあったら、
いつでも逃げれるような準備を怠らないし、会社とも戦わない方法を選ぶべきだなと思ってます。
僕自身も、基本的にイエスマンな臆病者なので。
イエスマンで居続けて、反面逃げる道も作るという、ね。
闘って疲弊するよりは、誰も知らないところで収益の柱を作って、
そっちの道で食うようにした方が全然マシですからね。
戦いたく無い人のための、逃げの戦術です。これは。
なので、NOと言わない場合のことを真剣に考えてみてもらいたいのです。
押し黙るか。別の逃げ道を探すのか。
そういう逃げる選択肢を取ろうとおもったら、是非一言声をかけてください。
その選択を提示するのが、僕の役目です。
著者のジュン カタオカさんに人生相談を申込む
著者のジュン カタオカさんにメッセージを送る
著者の方だけが読めます