フィンランドどうでしょう⑥ さよならヘルシンキ また来てタリン (エストニアどうでしょう⑯)
ヘルシンキのお婆さんとエストニアについて話す。
僕はヘルシンキのお婆さんにエストニアについてどう思っているのか聞いてみた。
末期のソ連の悲惨さを知ると、僕もエストニアはソ連から独立できて本当に良かったと思う。
エストニアが独立したのは1991年のこと。僕が産まれたあとの事だ。とても最近の出来事だ。
もちろんソ連側は独立なんてしてほしくはないので、あの手この手で妨害をしてくる。だからエストニアの人々は様々な手段で独立をアピールした。
最も印象的なのは1989年にラトビア・リトアニアと協働で行われた「バルトの道」だ。エストニアからラトビア・リトアニアにまでの600kmにもわたって、人々は手をつなぎ、人間の鎖を作った。
リトアニアでは1991年の独立間際、ソ連の妨害に合い、一般市民13人が死亡するなどした。
そんな悲劇を乗り越えて、バルト三国はソ連から独立した。その後の経済発展や社会が健全になっていく様を見るとエストニアがソ連から独立して良かったのは明らかだ。
エストニアで見つけたストリートの標識。外れかけのエストニア語の標識の下にソ連時代のロシア語表記の標識が見える。歴史を感じさせる光景だ。
ーーーそして今僕は、そんな悲劇からちょうど25年後のエストニア・フィンランドにいるのだ。
これを感慨深いと言わずしてなんと言おうか。
そして別れの時
4泊5日の長きにわたって僕を滞在させてくれたお婆さんとも今日でお別れだ。少しの間だったけど、僕にはとても長い時間に感じ、去り際は少し寂しかった。
僕はそのままヘルシンキのフェリー乗り場へ直行した。
フェリー乗り場から見た景色
そして帰りも雰囲気ぶち壊しで見送ってくれるこの男。ヘルシンキらしいと言えばらしい。
乗船を待っていると、お婆さんから僕のカウチサーフィンのアカウントに今回の旅のレビューが来た。
初めての好評価が一つ僕のカウチサーフィンのアカウントについた。内心どんな評価が来るかドキドキしていたけど安心したぞ。
そんな訳で、僕の初めてのフィンランド&初めてのカウチサーフィンは無事、良い旅の思い出となって記憶に刻まれることとなった。
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