第5章 日本生まれ、日本育ち。 でも、努力すれば海外でも自分の想像をはるかに超える経験ができる。
第5章 日本生まれ、日本育ち。
でも、努力すれば海外でも自分の想像をはるかに超える経験ができる。
旅から日本に帰国すると、私の心は決まっていた。
「日本生まれ、日本育ち。
でも、努力すれば海外でも自分の想像をはるかに超える経験ができる。」
この事実をもっと日本の人に伝えたかった。
「大胆不敵な人生目標を応援します」
が、当時のキャッチフレーズだった英会話スクールに門戸をたたく。
面接で訪れたオフィスは、全ての部屋がガラス張りの部屋。
幹部のミーティングから自分の面接が行われる部屋まで丸見え。
でもおかげでどんな会社なのか一目でわかり、
そして、2次面接でアメリカ人の面接官に、
「君は合格だよ」と何も話す前に言われ「???」
その後すぐに、
「僕の誕生日と同じだからさ」といわれた。
私の緊張をほぐしてくれた外国人特有のユーモアは今でも忘れられない。
![](https://pic.storys.jp/t/29756/83560b3c.jpeg)
そして、世田谷の小さな街、三軒茶屋が私のスタートのスクールだった。
当時マネージャーだったOさんは、4ヶ月後に出産を控えた妊婦!!
出産と共に退職予定の彼女とはたった3カ月しか一緒にいられなかったけれど、
彼女の優しいだけではない、厳しさの中にある包容力に魅了され、
会社でのローモデルのとなる女性に入社後すぐに出会えたことが、
その後勤務地は変わっても、7年間勤められた要因であることは間違えない。
その後、大きな街、そして顧客のカラーも全く異なる、銀座スクールでの2か月。
殺伐と働くスタッフ、
そして表情をあまり変えないクライアント、
ビジネスライクの外国人講師に圧倒され、
ただただ体験レッスンの数をこなしていく毎日。
そんな繁忙な日々に終止符を打とうか、
と考え始めた時、関西スクールでの社内公募があった。
すでに中部へ異動が決まっていたスタッフに「応募してみれば?」と声をかけられた直後には、
HRへコンタクトをとっていた自分がいた。
数週間後に面接、
そしてその場では、
今回ではなく数年後に京都、神戸での新規開校の際に検討する、と面接は終了。
しかし、その数日後、連絡があり
「2週間後に関西へ行ってほしい」と。
「はい」と即答したかは全く覚えていないが、
その翌月には新大阪駅に降り立ち、その日に物件を決め、人生初の一人暮らしが始まった。
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