第5章 日本生まれ、日本育ち。 でも、努力すれば海外でも自分の想像をはるかに超える経験ができる。

前話: 第6章 私にとって「関西での生活」はまさに「異国での生活」だった。
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第5章 日本生まれ、日本育ち。
でも、努力すれば海外でも自分の想像をはるかに超える経験ができる。

旅から日本に帰国すると、私の心は決まっていた。

「日本生まれ、日本育ち。
でも、努力すれば海外でも自分の想像をはるかに超える経験ができる。」


この事実をもっと日本の人に伝えたかった。


「大胆不敵な人生目標を応援します」
が、当時のキャッチフレーズだった英会話スクールに門戸をたたく。

面接で訪れたオフィスは、全ての部屋がガラス張りの部屋。
幹部のミーティングから自分の面接が行われる部屋まで丸見え。

でもおかげでどんな会社なのか一目でわかり、
そして、2次面接でアメリカ人の面接官に、
「君は合格だよ」と何も話す前に言われ「???」
その後すぐに、
「僕の誕生日と同じだからさ」といわれた。
私の緊張をほぐしてくれた外国人特有のユーモアは今でも忘れられない。


そして、世田谷の小さな街、三軒茶屋が私のスタートのスクールだった。
当時マネージャーだったOさんは、4ヶ月後に出産を控えた妊婦!!
出産と共に退職予定の彼女とはたった3カ月しか一緒にいられなかったけれど、
彼女の優しいだけではない、厳しさの中にある包容力に魅了され、
会社でのローモデルのとなる女性に入社後すぐに出会えたこと
が、
その後勤務地は変わっても、7年間勤められた要因であることは間違えない。

その後、大きな街、そして顧客のカラーも全く異なる、銀座スクールでの2か月。
殺伐と働くスタッフ、
そして表情をあまり変えないクライアント、
ビジネスライクの外国人講師に圧倒され、
ただただ体験レッスンの数をこなしていく毎日。

そんな繁忙な日々に終止符を打とうか、
と考え始めた時、関西スクールでの社内公募があった。

すでに中部へ異動が決まっていたスタッフに「応募してみれば?」と声をかけられた直後には、
HRへコンタクトをとっていた自分がいた。
数週間後に面接、
そしてその場では、
今回ではなく数年後に京都、神戸での新規開校の際に検討する、と面接は終了。

しかし、その数日後、連絡があり
2週間後に関西へ行ってほしい」と。
「はい」と即答したかは全く覚えていないが、
その翌月には新大阪駅に降り立ち、その日に物件を決め、人生初の一人暮らしが始まった。

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