第4章 人生で出会う全ての人は、自分にとって未来の宝
帰国した2001年の師走、年末を目前に控え、せわしない日本に帰ってきて落ち着かないといえども、
念願の家族との温泉旅行を心待ちにしていた私。
まさかの事態、緊急入院することになる。
診断は、「腎う腎炎」。
ストレスからくるもので、ただ安静に2週間過ごした日々、日本に帰国したことがストレスなのか、
はたまたあちらでのどこか緊張しながら過ごしていた時間がストレスだったのか・・・と、
落ち込んだりもしていたが、そうこうしているうちに退院し、
そしてその1か月後には就職活動をスタートしていた。
フルタイムで働く自信をなくしていた私は、パートタイムを2つ兼務することを選択した。
ボランティアで日本語を教えることも再開した私は、3足のわらじの生活となり、
3つの異なる環境での仕事は、更にストレスを感じさせるものではないか、と誰もが心配していた。
お客様が外国人であったフロント業務、
相手が子どもであった英会話講師、
そして直接法(日本語で日本語を教える方法)で教えていた日本語教師ボランティアは、
日本にいながら、多国籍、そして老若男女の人々との交流となり、
英語と日本語での生活は、むしろ私にとってはストレスフリーであった。
公私ともに充実していた日本での1年間、翌年春には仕事のオファーもあり、再びカナダトロントへ。前回の滞在でつくったコネクションより、「語学学校での日本人カウンセラー」として働くことになり、また教育の分野で多国籍の生徒に囲まれ、先生を含め皆がファミリーのようなアットホームな校風、またこの国に戻り更に新しい人脈ができたことが本当に宝であった。
2004年春、合計3年間暮らした街、トロントでの生活に区切りをうち、
また日本で自分を試してみようと帰国した。
今後の自分のやりたいことを整理しようと、帰国後すぐに、カナダの親友とタイで待ち合わせ、2週間の旅に出かけた。その土地で、2人の友人との再会がまた自分の人生を大きく変えた。
友人の一人、Cさんは、カナダに行く前、日本語教師ボランティア時代の同期、
その後タイで就職していた。
もう一人は、同じく日本語教師ボランティア時代に生徒でメキシコから留学していたセシがメキシコへ帰ったのを機に、私が遊びに行った彼女の家に当時滞在していたユイだった。
数年前に彼らと会ったとき、誰がまたタイという国での再会を想像したであろうか。
あのとき彼女たちと過ごした時間は、
不思議と
「人生で出会うどの人も、自分にとって未来の宝」
となることを身にしみて感じさせてくれるものとなった。
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