自分らしくを大切にする人生 その13 ~カミングアウトの決裂から10年以上、ある朝母がLGBTを兄に語り始める~
僕が生まれたのはこの岡山県北のある小さな町。勝北町。今は津山市。18歳まで育ち、その後大学で札幌へ。実家を離れてから20年経ち、僕はこの地元でLGBTの講座を8月11日に開催しました。
田舎は緑が広がり、山もあり、水もきれい。とっても生活はしやすいところですが、
その一方で伝統的な日本の価値観が続く地域でもあり、
大人になれば男と女が結婚し、子どもを産み、親に孫の顔を見せる、
ということが当然の社会。
実家に帰省するたびに、「結婚しないの?」「いい人はいないの?」と、親戚やまわりから聞かれるのが当然の社会です。
そんな田舎でゲイということを公にしてLGBTの講座をすることは本当に勇気の要ることでした。
親戚からなんて言われるだろう。
家族の耳に入ったら、家族はきっと反対するだろう。
フェイスブックやブログを通じて、地元の同級生たちには僕がゲイであることはすでにカミングアウトはしていましたので、同級生たちはとても応援してくれていて、このチラシのとおり、たくさんの同級生が賛同してくれました。
また小学校5年生の時の担任の先生も「がんばりなさい!」ととても応援してくれていました。
両親には20代のなかばにカミングアウトはしていたのですが、
残念ながら全く理解してもらえず、
父親は怒ってしまい、僕を裏切り者だとしかり、
母親は泣き崩れてしまい、自分の人生をうらんでいました。
一組しかいない両親にちゃんと僕のことを知ってもらって、
その上でいい関係を作りたいと思ったのですが、そんな期待は木っ端微塵。
僕の勝手な期待だったんだな、と思いました。
あの出来事があってから、両親とゲイであることについて一度も触れないまま、
ある意味タブーのようになってしまい、10年以上の月日が流れていました。
戦後生まれの、酪農家の両親に、いきなりゲイをわかってくれというのがそもそも無理なのかもしれない。
両親が別に悪いわけじゃなく、時代や社会、周りの人たちとの関係で、LGBTに対するイメージや反応は違うもの、戦後すぐ生まれの二人にはしょうがないことだ。
そんな風にずっと思っていました。
今回、地元津山市でLGBTの講座をするにあたり、一番気にしたのは両親のこと。
小さな田舎です。こうした講座をやるとなれば必ず両親の耳に入る。
「恥ずかしい、周りの人や親戚に会わせる顔がない、辞めてくれ」
最悪そんな風に言われるかもしれない。
そんな心配がずっと続きました。
でもその一方で、
田舎だから悩んでいる人が絶対いるはず。
結婚して当たり前、という社会で、自分がLGBTであるということなんて絶対に知られたくないと思って隠したり、「ふり」をして生きている人はいるはず。
田舎だからこそ、やらなくちゃ。
そういう思いがありました。
それはすなわち、自分が小さい頃、この町で育って、
女のことばかり遊んでいたら変て言われてすごくショックだったり、
男子のソフトボールチームに入れられて、嫌でやめたくても、「周りの男の子はみんなやっている」と親に言われてやめられなくて本当にしんどかったり、
思春期になって同性に興味が行くようになっても、恥ずかしいことだと思って誰にもいえなかったり、
そもそもそんなことがあっても誰にも相談できなかった自分。
そんな経験をした僕なので、
田舎だからこそやらなくちゃ、今こうしてゲイとしてカミングアウトできて、自分らしく生きていけている僕だからできることだ、貢献できるはずだ、
そう思ってこの講座を企画したのでした。
でもやっぱり両親にはこの講座をすることが言えず、
母親の友人が知り合いで、その方が誘ってみると言って下さったのですが、
助かるなあという気持ち半分、でもどう思われるかなという心配ばかり募る日々。
すると、ある日母から電話があり、
その母の友人の方から講座があると聞いたと。
僕はびっくりしながら、電話で話しをしていたのですが、話をしている雰囲気から察するにおそらく内容は聞いていない様子。
というのも、
「周りの友人を誘っていくから」
「親が行くなら、参加者のみなさんにお茶を一本ずつでもお出ししないと。」
ととても積極的なことを言っている母。
カミングアウトをしてからゲイのことに触れてはいないのですが、
両親とは良好な関係でもあるのも事実で、
母は特にこうして愛情が深く、息子がやることには応援してくれたり、
参加くださる方への配慮をしてくれたりと、
本当にありがたい母です。
しかし僕としてはこの内容を知ったらとても驚いて拒否反応をしめすだろう。
反対するんじゃないか。
そう思って、
「別に来なくてもいいから。僕だけでやれるから心配しないで」
とごまかす答えしかできなかったのでした。
そして、前日。
地元の山陽新聞に僕の講座の告知が出たのですが、
それを見た母が朝イチで電話をかけて来ました。
「男性同性愛者って書いてある」
と母。
「そうそう、でも心配しないで、市役所の方も応援してくださっているから。」
と、心配させないように言う僕。
そして当日東京から岡山に飛行機で飛び、
実家に荷物を置いてから会場となる津山市の文化センターに向かおうとしたのですが、
実家に帰ると両親の雰囲気が明らかに違いました。
いつもは「おかえり」と玄関先まで迎えに来るのに、
迎えにも来ない。
父親の表情は暗く、目もあまりあわせない。
完全にアウトだ。。。
母には、
「無理してこなくてもいいからね!」
と言いましたが、
「もうお友だちも誘っているのに自分だけ行かないなんてできないでしょ」
と、仕方なく行く、
といったことを言われてしまう僕。
僕も心臓がドキドキで、
心配な気持ちしか出てこなくなりそうなので、
そそくさと準備をして、家を出て、会場に向かったのでした。
会場では同級生たちがボランティアで設営や受付も手伝ってくれて、
本当に安心の空間。
みんな笑顔で手伝ってくれて、
本当に心強く感じました。
また津山市のローカルテレビ、テレビ津山さん、毎日新聞さん、津山朝日新聞さんといったメディアの方も取材に来てくださいました。
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