第0章 はじめに ■■★■■ 定員割れ高校で偏差値45以下の私が、17歳の高校1年留学で人生が変わり、10年後にニューヨークでバリバリキャリアウーマンで働いている話。

次話: 第1章 留学したい。(当時15歳) ■■★■■ 定員割れ高校で偏差値45以下の私が、17歳の高校1年留学で人生が変わり、10年後にニューヨークでバリバリキャリアウーマンで働いている話。

はじめに。


現在

私は、某日系会社でProduction Planning Managerとしてアメリカ人の上司の下、ニューヨークで働いています。簡単に言うと「生産管理マネージャー」というポジションです。

私はこの会社に入り翌年、3年間連続で、「年間優秀社員賞」(年間数人)を取って、

4年目で、「社長賞」(年間に1人とれるか、もしくは誰も取れない。)をとってしまいました。

気づいたら、「良くできる社員の代表」として、素晴らしい賞を何度も頂いてしまった訳です。


学生時代

ただ、こんな私ですが、学生時代に頭が良かったわけではありません。

自分の中学の成績を見て、私は全体で中間以下かと落ち込んでのをよく覚えています。

高校は志望校に落ちて、昨年定員割れした公立高校に入ります。

周りのレベルが低いのか、中間の成績にはなったものの、

授業中に漫画を読む、テストはすべて徹夜越し、万引きをする、クラブに行く、タバコを吸う。

・・・今、思えばヒドイものです。警察に捕まった友達も、何人かいました。

公務員の両親二人の間に生まれた娘とは、思えないほどの行動でした。


進路を決めるに当たって

ですが、さすがの私も心のどこかでヤバい。っと思い始めていました。

それから、勉強はできないバカでしたが、自分は自分なりに良く考えている子供でした。

たとえば、こんなアホが、名の知れない私立大学へ行って授業料150万とか払うのは、

金の無駄使いだ。とくに日本の大学は、みんな勉強しないで遊んでいるのが気に食わなかったです。

そもそも、やりたいことが無いのに、なんで高校卒業したら大学に行くのか?

その頃、アメリカではみんな「行きたくなったら大学へ行く」人が多いという話を聞いていたので、

自分もそうあるべきだと思い始めました。そもそも、日本に生まれたからって、なんで日本人がするように(高校卒業と同時に大学へ進学するなど)行動を共にしなくちゃいけないのか、理解ができなかったんです。

しかも、私の高校は大学進学はクラス40人中3~5人ぐらいといアホさ加減です。

もちろんですが、みんな名門・難関大学へ行くわけでもありません。


留学という選択肢

ひとまず日本で行きたい大学がないけど、高校を卒業して、途方にも暮れたくなかったので、

17歳、高校3年生の夏から、日本の高校を休学して、カナダの高校へ行くことに決めました。

これも、私が頭が悪すぎて、当時(2002年)アメリカ高校留学には応募できませんでした。

この時のアメリカ1年高校留学は100万、カナダが170万ぐらいだった気がします。

これを決めたのは、すでに15歳の時でした。

高校1年生ぐらいで応募することを決めて、3次試験まであるテストを受けます。

筆記試験、面接、英文小説暗記朗読などです。

(今思えば、非常に準備期間の長いよくできたプログラムでした。)

その後、ニューヨークで留学カウンセラーの仕事に就くことになりますが(2009年)

自分は留学をするためにとても長い期間準備をしたけど、

最近の留学生は、かわいそうなぐらい心の準備ができていないんだなぁとよく思いました。

15年間続けた英語教育

ちなみに私は不良ではありません!

5歳からずっと英語を習っていて、まじめに二十歳ぐらいまで続けました。

英語に関しては、この習い事に行くのが大好きでした。学校よりも何よりも好きでした。

週末も行っていたら、中学の友達にハブ(仲間はずれ)にされたこともありますが、

別に学校以外に友達いるし、まぁいっかと思ったぐらいです。

私にとって、この英語教室は非常に偉大でした。

ここが、私を成長させて、また英語を「勉強」じゃない方法で、自然に体で覚えたからです。


留学が決まって

話を戻しますが、留学試験はC判定でした。

そこには、現地の校長先生が受け入れ許可を出せばいけますという条件付き判定でした。

この「勉強のできない」高校生が、この留学試験だけはとてつもなく頑張りました。

(でもなぜか学校の英語のテストの結果は、悪い状態が続きました。)

その頑張りが報われてか、希望していた高校からOKが出て、私の留学が確定します。


ちなみに、この時点で私の話せる英語はHelloとHow Are You?でした。

5歳から17歳まで英語を習っていたにも関わらず、あり得ない英語力だなぁと心でよく思っていました。

でもこの後、1年間で私の人生は変わります。

1年間、日本語を話さなくても死なないしっと思って、日本人とも英語で話しました。

損得感情が強く、無駄が嫌いな私は、170万円を無駄にしたくなかったのかもしれません。

(もう、なんなら日本語を全部忘れてもいいから、神様、英語を理解させて下さいとも思いました。)

何よりも現地の高校で友達ができないのが嫌でした。

友達できないとかダサいし、ダサい留学なんて嫌!絶対に嫌!っと、

ダサさを全力で拒否し続けた結果、

私はたった1年でTOEICを750点まで伸ばし、

留学生の中でも一番バカだったのに、帰国時はTOPで2番目の成績を叩き出しました。

帰国後の高校の英語のテストは勉強をしなくても100点でした。


頭じゃなくって、体で覚えた英語

そこからは、英語能力だけで、短大入試、大学編入、奨学金留学、就職活動、

何も苦労しない日々が続きます。

いや、苦労していたのかもしれないけど、カナダでの日々が辛すぎて、

そこからの日本生活は、何があっても、「辛い」と思うのが難しくなっていました。


ニューヨークで働きたい

ニューヨークで働くことを決め、2009年に移住。

その後、うまく永住することができて、今に至ります。

ニューヨークでも初めについた職種「留学カウンセラー」がとてつもなく天職でした。

(お休み無しの、給料が月収12万じゃなかったら、きっと続けていました。)

最近は、「留学」自体が流行っているといいますか、行く人が増えていると思います。

でも、私が留学した当時2002年は、まだまだ「高校留学」なんてする人が少なかったです。

(周りには、頭がおかしくなったかと良く言われました。とくにバカな高校だったので。)

ですから、2009年に「留学カウンセラー」になったときは、私はみんなの先輩でもありました。

英語の悩みから、ホームステイ先の悩み、仕事だけど毎日とても充実した仕事でした。


それから、いろいろとこの会社でもあって、転職することになり、いまに至ります。


留学について

学歴社会の日本では、「留学」という選択は、ある意味いい逃げ道でもあり、

お金さえあればできる「やり直し」でもあるのかもしれません。

「高校留学」させてもらえなかったら、私は今でもただの一般的な日本人で終わりでした。

「英語能力」は後からついてきましたが、何よりも当時、

ガラケーすらないカナダの田舎で1年間日本語をしゃべらない生活を送ったことが、

また辛いことをいっぱい乗り越えて、今でも連絡をとれる友達がいること、本当に感謝してます。


留学で伸びる英語力

具体的にですが、私は当時、

3か月でだいたい英語が聞けるようになり、

6か月で言いたいことが全部英語で言えるようになり、

9か月で、TheとかAを考えなくても正しく使いこなして、I Playとか、He Playsのsが考えなくても自然に口から出てくるようになりました。

帰国する時には、Native並みのCanadian Englishねと電話越しで話したカナダ人の女性に言われたのを今でも忘れません。


自分の子供にも、絶対に「高校留学」を進めます。

留学って、「大学生」になっちゃうとある意味もう大人なんです。

(それは「留学カウンセラー」の仕事をしているときに、毎日感じていました。)

でも「高校生」でいったら、現地で「子供」として扱われるから、ある意味、自由だし、

また周りからも無条件でいっぱい愛情をもらいました。

(とくにアジア人の高校生は13歳ぐらいに見えますので。)


この経験が無かったら、今の私は存在しないと思うので、ここに書きたいと思いました。

なにか海外留学・海外就職をお考えの方のためになればと思います。



続きのストーリーはこちら!

第1章 留学したい。(当時15歳) ■■★■■ 定員割れ高校で偏差値45以下の私が、17歳の高校1年留学で人生が変わり、10年後にニューヨークでバリバリキャリアウーマンで働いている話。

著者のYuriko Ishiharaさんにメッセージを送る

メッセージを送る

著者の方だけが読めます

みんなの読んで良かった!

STORYS.JPは、人生のヒントが得られる ライフストーリー共有プラットホームです。