第9章 「娘が夜泣きすれば、抱っこしながらの勉強の日々」に苦笑

前話: 第10章 娘の寝顔をみて出勤、朝ごはんを共にすることができない日々
次話: 第8章 もしこの家を売るようなことがあったら私、住みます!

第9章 「娘が夜泣きすれば、抱っこしながらの勉強の日々」に苦笑


「この先、ないかもしれませんが、もしこの家を売るようなことがあったら私、住みます!」と、はじめて先輩Oさんの家を訪れた時に言っていたセリフ。宣言したまさに4年後に、本当にその日が来るとは夢にも思わなかったが、その日は訪れた。


実家からは1時間程離れた川崎のマンションでは、彼が出産後4ヶ月後に転職して関東に越してくるまで、
娘と2人、私はシングルマザーとして過ごしていた。

母にもいつまでも甘えたくなかったし、24歳で家を出ていた私は、
やはり実家とは適度な距離が必要だった。
妹もよく手伝いに来てくれたし、そんな環境で私を支えてくれたのは、やはり「人」だった。

当時新興住宅地で会ったそのエリアは、他県からの若いファミリーであふれていた。
北海道、長野、はたまた関東の他の地域から私と同じようにこの地を選んだ彼女たちとは、
本当に一緒の時間を共有し、共に子育てに奮起し、
協力しあって楽しい実りある育児休暇1年を過ごすことができた。

育児休暇後、ぴったり1年で復帰した私の赴任先は、関東でまた最大規模の新宿スクールだった。
マネージャーのシフトは、13:00-21:00が原則で、
もちろんそんな時間に勤務することは不可能だったので、選択の余地なく早朝シフト6:45-13:45(時短)となった。

夫と娘が寝ている5:30には家を出て、6:30にはスクールに到着する日々。
職場でパートナーだった美大出身のNちゃんに本当に救われ、
彼女はまだシングルだったので、子持ちの私の急な休みも快く代役を引き受けてくれ、
また朝の外国人インストラクターは、この上なく協力的で、仕事以外でも付き合う、まさにファミリーのようなスタッフだった。



こんな環境が2年ほど続き、私の勤務年数も5年を超えたころ、
「リフレッシュ休暇1か月」を取れることがわかった


無給だけれど、私にとってその「1か月」はまさに自分磨きにも最適
しかも当時考えていた新たな夢、「小学校で英語を教える」という資格(J-shine)を取得できるオーストラリアの語学学校が、なんと期間限定で日本、しかも東京の私の住む街で試験的に開催されることが分かった。
この機会を逃がすまい、と気がつけば夏の1か月を資格取得に充てていた。

通常3カ月のプログラムを1か月で行うので、毎日10:00-16:00のプログラム、は翌日に課題発表、クリアしないと次のステップに進めない厳しいものであり、気がつけばほぼ朝勉の毎日だった。
娘が夜泣きすれば、抱っこしながらの勉強。
思わず、トロントでの日本語教師時代の寝られなかった辛い日々を思い出し、思わず苦笑した。

自ら選択したこと、もうこんな日はこりごり、と思いながらも、
その10年後には同じことをしているのだから、、、、、と、これも私の性格、と割り切れた

続きのストーリーはこちら!

第8章 もしこの家を売るようなことがあったら私、住みます!

著者のShibata Kozueさんにメッセージを送る

メッセージを送る

著者の方だけが読めます

みんなの読んで良かった!

STORYS.JPは、人生のヒントが得られる ライフストーリー共有プラットホームです。