第11章 いつ死ぬかわからないから、いつ死んでも後悔しない人生を生きよう

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第11章 いつ死ぬかわからないから、いつ死んでも後悔しない人生を生きよう

長女が継続して保育園に通うためには、母親が5カ月目には働かなくてはならず、家族の協力も経て、夏より契約社員として民間の学童保育へ就職した。そこでも想像を超えるドラマが待ち受けていた。


前職で慣れてはいたが、想像を絶する仕事量、マネージャーアシスタントであったのにもかかわらず、やることはマネージャーと同じ。

あまりにオーガナイズできていない環境、また人の出入りが激しい企業だったので、ほぼみんな新人。
そんな、子育てとの両立が不可能だ、と感じ始めた半年目、やはり「人」に救われた。

唯一の女性課長。この事業をスタートから支えてきた人で、私を自らの経験から常に気にかけ、
サポートしてくれたYさんに出会った。
その彼女とその約1年後に、彼女が立ち上げた別の事業でかかわることになろうと、想像もしていなかった。以前のOさんのマンションに住んだ時のように、私はYさんに常々「もし、Yさんが将来新しいことを始めるときはぜひ声をかけてください」と話していた。

このときから、自然に言霊のちからを信じるようになった。

「想いは叶う」

2013年、健康だった義理の父が、デング熱にかかりわずか約2週間でこの世を去った。
若い頃、3か月かけて船で日本から南米、パラグアイの地に義母とわたり、人の子どもと暮らしながら、日本の有機農業を伝えてきた父。
日系社会では、まだまだこれから新しいことをやっていこう、と野望をもっていたに違いない父があっけなくこの世を去ってしまった現実。

私は、「今を生きなければ」と強く思うようになった。

「いつ死ぬかわからないから、いつ死んでも後悔しない人生を生きよう。」

極端かもしれないけれど、そんなメッセージを義父の死が私に残してくれた、と思っている。



四十九日にパラグアイを家族で訪れた時、夫の実家のファームの上をどこまでも広がる青い空が目に焼き付いて離れなかった。
あの空を見ていたら、都会のビルの谷間であくせく働く自分、
家族との時間をかえりみずに「仕事」を優先しなければならない日常に、終止符を打とう、と決心できた。


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第10章 娘の寝顔をみて出勤、朝ごはんを共にすることができない日々

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