フクシマで生まれて〜今だから言える、あの時のこと〜
2011年3月11日を境に私の地元・福島は、のどかな田舎町というイメージから一転、「被災地」となりました。
いっぺんに家族や友人を失うかもしれないという恐怖、大切な人達が苦しんでいるのに何もできないもどかしさ。
新幹線に乗ればすぐ会いに行ける距離だと思っていたのに、会いに行くことさえできない。
「福島に住んでいる人の方がずっと辛いのに、自分が辛い顔をしてちゃ駄目だ。」 「東京の人には話すだけ無駄だ。どうせ他人事なんだから。」 「何もしてあげられなくてごめんね・・・」 そんなことばかり繰り返し考える毎日がこれから果てしなく続いていくことが怖くて、考えることを止めた時期がありました。 意識して、福島を考えない様に。人から何か言われても受け流す様に・・・。
いっぺんに家族や友人を失うかもしれないという恐怖、大切な人達が苦しんでいるのに何もできないもどかしさ。
新幹線に乗ればすぐ会いに行ける距離だと思っていたのに、会いに行くことさえできない。
「福島に住んでいる人の方がずっと辛いのに、自分が辛い顔をしてちゃ駄目だ。」 「東京の人には話すだけ無駄だ。どうせ他人事なんだから。」 「何もしてあげられなくてごめんね・・・」 そんなことばかり繰り返し考える毎日がこれから果てしなく続いていくことが怖くて、考えることを止めた時期がありました。 意識して、福島を考えない様に。人から何か言われても受け流す様に・・・。
2年経った今は、その苦しさを声に出して苦しいと言える様になりました。 だけどまだ、言えない人達もいます。 あの時から今尚続く苦しみや悲しみが、福島の人の数だけあります。
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