とりあえず パニック障害になるまで 1

次話: とりあえず パニック障害になるまで (2)

 初めての台湾



ほじめに。

これから書く内容は小説ではありませんので、どちらかとゆうと散文形式および箇条書きになります

ごめんなさい(技術出身ですので)


1993年 初めての訪台(台湾に行く)

そのころの仕事は技術部に所属してまして、エレキ担当の係長クラス 

会社はエレキ部品なんてやったことない人ばかりで 試行錯誤しながら電子回路基板を作ってました

(金型あれば製品は作れるって考え もともと時計屋ですから)

印刷用のメカに232c経由の印刷機をはじめました

 <これ以前の話は希望があれば書きますが>

でも PC並みの基板(DOS/V以前の話です)なんて初めてで 優秀な2人の設計者(2人ともニフティーサーブのシスアド)のもと プロジェクトは進み回路図とソフトは出来た。

国内を色々当たったが 作れる会社がなく パソコンの生産トップの台湾に目を当てました

台湾ではすでに数社当たっており一社にしぼっていたおかげで(現地法人と設計で)

最初はNDA(機密保持契約)の締結 高卒の我にしては英語なんて.......

技術・調達・品質保証の課長と我が NDAの契約をしに台湾に行くことになった

全員が高卒 契約の英文(法務作成)交渉なんてって思った

相手の会社は台湾の南部 高雄にあった

幾度となく社内会議を行い で交渉に向かう 英語もろくにできないメンバーで

羽田から台北に

課長たちはは台北の現地法人まかせ 我一人で高雄の会社に人生初めての海外出張andトランジェットで、「俺らは台北にいる 契約してこい」

これが始まりでした

後で解ってんですが 彼らは台北で 飲み打つ買う観光の日々を過ごしていたようです

  (誤解の無いように、後で台北駐在員生活で説明します)

 彼らは何もしてませんし 交渉のテーブルにもついてません

我は 一人で黒板に漢字を書いて筆談しながら NDAの契約 双方ともに英語を漢字で変換してました

通じたか定かではないですが サインをもらった書類を抱え帰国しました

帰国は皆同じ 30才の夏です (23年前の話です)


我が結婚した年でもあります

先妻は我より8歳上 当時工場のライン長 彼女が30代で結婚したかった我の希望をかなえた結果です

社内結婚です

これにも 以降の話にかかわってきます

結婚は条件があり、1、彼女のお父さんの弟の家に養子になる 2.家業(農業)の手伝いをおこなう

でした。

我の家はサラリーマンの家で、養子・農業なんて 何もわかりませんでした

ですから、OKしました   


今日はこれくらいにします

ありがとうございました













 










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ありがとうございました!

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とりあえず パニック障害になるまで (2)

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