とりあえず パニック障害になるまで (2)
台湾と国内出張の連続
初めての台湾出張から3年間 訪台を繰り返し 年間120日位行ってました
結婚から3年 妻が妊娠しました。 双子でした
出産時、医者に付いていくも自宅に帰され自宅待機
ここで、人生の失敗を行ってしまいます
素直に自宅待機していればいいものを パチンコに行ってしまった
当時は携帯電話もなくポケベルの時代でしたが、我は持っていませんでした
出産後、子供は2300gの未熟児で その一人が呼吸困難で医者から病院に転院 それも二人とも
自宅に戻ったのはそのころ、電話で病院に呼び出された
先に生まれた子供が呼吸困難が治らず 「こども病院」に転院する羽目に
救急車で50km離れた場所になる
病院に着くなり検査 → 手術 病名 総肺静脈還流異常症 要は心臓の奇形です
「治る可能性は20%ですが 手術しないと死にます どうしますか」医者に聞かれる
お願いするしかなく 何枚かの書類にサインをする
病院で一晩過ごした
手術が終わったのが 朝方だった
「手術は成功ですが、後はこの子の生命力です」 ICUで初めて会ったわが子には
注射器が何本も刺さっていて痛々しかった
何があるかわからないから すぐ連絡がつくようにポケベルを購入するようにとのこと
双子のわが子は 別々の病院に入院(一人は手術、もう一人は未熟児)、妻は産婦人科
一人でアパートに戻り 酒を飲む 昼ごろだった 疲れた 昼間から寝てしまった
外では 花火大会が行われていて その打ち上げ花火の音で起きた
打ち上げ花火の音が妙に心に響いた晩だった
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