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16/9/6

フツーの女子大生だった私の転落の始まりと波乱に満ちた半生の記録 第11話

Image by Olia Gozha

決別のとき

《これまでのあらすじ》初めて読む方へ

普通の大学生の篠田桃子は借金返済をきっかけにショーパブで働くことになる。始めは気が進まなかったものの接客に慣れ、指名が取れると桃子の中で野心が芽生えてくる。他のホステスとのトラブルなど経て、さらに上を目指したいと願う桃子は恋人拓哉への愛が冷めたことをきっかけに別れる決心を固めたのだった。



拓哉は2本目のタバコに火をつけた。


当時すでにニコチン中毒気味になっていた私は

煙の匂いを嗅ぐとどうしても吸いたくなったものだ。



「で、どういうことかって聞いてんだけど」


「え?」


「え、じゃないだろ。なんの冗談かって聞いてんの。藪から棒に別れるだなんて」


「だから、昨日の電話で言ったよね。学校とバイトで忙しくて気持ちの余裕がなくなったって」


「気持ちに余裕がないからこそ、支えあうのが恋人なんじゃないの?」


そんなキャラじゃないくせに。

私が黙っていると拓哉はふうっとため息をついてタバコを消した。


「分かったよ。で?何なの?聞くからさ」


「…?何?」


「だから、分かんないの?大人の対応してんだよ。俺が折れてやるからさ。

言ってみ?俺の気に入らないところ」


「タッくん…あの、そういうことじゃなくって」


「俺が自分勝手とでも言いたいの?え?それとも何?浮気とか疑ってるとか?」


「違うよ、そういうんじゃない。私の気持ちっていうのはね」


私はミルクも砂糖も入れてない緩くなったコーヒーを見つめた。


「好きって思う気持ちがなくなったって意味なの」


拓哉が私を見た。私は思わず視線を逸らし俯向く。


「は?何それ」


拓哉は引きつった顔で笑った。


「何?本気なの?俺と別れたいって。」


私は小さく頷いた。


「お前、バカ!?俺のどこが気に入らないんだよ!M物産に内定してるし

お前が思ってる以上に俺すげえモテんだぞ!この前なんかサークルで1番狙われてる1年の子から

告られて…でもちゃんと断ったんだぞ、俺!」


拓哉は身を乗り出してまくし立ててくるが

その言葉は1つも私には響いてはこなかった。


「お、親だってなあ、お前の事、あんまりよく思ってなかったけど俺、

頑張って説得してきたんだぞ!」


拓哉は、言いすぎたと思ったのかそのまま黙りこんだ。


「ゴメン…私のことはもう忘れて」


「ふざけんなよ!一方的に決めんな!!」


拓哉は拳でテーブルを叩いた。


周りの客らが一斉に私たちの方を見た。


拓哉はいたたまれなくなったのか乱暴に伝票を握りしめると立ち上がった。


「俺、納得いかない」


「タッくん…」


拓哉は私と目を合わさず憤慨したまま店の外に出て行った。


私はノロノロとした動作で後を追うフリをして店を出たが


拓哉はもうすでにいなかった。


納得したかどうかは別にしても


言うべきことは言えた。


ホッとしている自分自身に


ヒドイ奴


と悪態をひとつ、ついた。






その夜は平日だというのにパテオは賑わっていた。


私は待機席でアドレスを知っている全ての客にメールや電話をしたが


今夜は皆、都合が悪く来られないという。


今週あと一本でも多く指名が取れればボーナスが出るところだったのに。


いざって時に、使えない奴らばっかり…


私は心の中で舌打ちした。



「おっかない顔!」


隣でミホが笑っている。


「え、顔に出てた?」


「うん、ヤバイくらいに。大丈夫?なんかあった?」


パテオに入店して4ヶ月目に入り、気がつくとミホと待機席や更衣室で


よく、どうでもいい会話をするようになっていた。


考えたらこんな軽口を叩ける相手は東京に出てから初めてかもしれない。


「いろいろムカつくんだよね。上手くいかないこと多くて」


「アンタでもそーなのお?そんな風には見えないけどねえ」


ミホは真っ黒に縁取られた黒目を瞬いた。


「指名だって取れてるし、な〜んか玲子さんにも気に入られてるぽいじゃん」


指名なんて取れてるうちに入らない。


週に10本以上取らなきゃ意味ないのに全然とどいてないし。


ナンバーワンのミサキさんなんて日に10本取ることだってあるらしい。


ミサキはショーでももちろんセンターだ。


スタイル抜群でダンスのレベルも高い。

漆黒のロングヘアと人形のような顔が売りだ。


ここ半年は不動のナンバーワンらしい。


ホステスの間では、ミサキのことを24歳と言ってるが何歳かサバ読んでるだとか


枕営業してるとか悪い噂が絶えなかった。


そんなのは、ただのやっかみに過ぎない。

だってパテオのナンバーワンの座を勝ち取ったのは

ミサキに他ならないのだから。


私は密かにこうも思っていた。

そしていつかミサキの座を奪うと。



ミホが唐突に言った。


「今夜うち遊びに来ない?」


「え?だって終電なくなるよ」


「泊まってけばいいじゃんか、うちは構わないよ」


ちょうど明日は休講だった。しばらく考えていると


ボーイが「ミホ、出番」と言った。


赤毛パーマの背の高いボーイだ。


私のことは杏さんと呼ぶのにミホのことは呼び捨てタメ口だった。


でもミホは機嫌よく、はあいと言ってるが立ち上がった。


もしかすると古い仲だからかもしれない。


ミホの誘いをどうしようか迷っていると


ひょっこりと指名客が店にやってきた。


立ち上がった私はミホと同じくらい上機嫌になっていた。




ミホは店から徒歩15分のところに住んでいた。


裏通りの寂れたアパートだが場所が場所だけに家賃は、うちよりずっと高そうだ。


部屋の中は、これでよく人を気軽に泊められるなあと思うほど散らかっていた。


大半は服とヌイグルミだ。



ジャージに着替えたミホは私にも色違いのジャージを貸してくれた。


ミホは22歳だという。


聞いた時、ちょっと驚いた。


普通、2、3歳年上の人は自分より大人びて見えるものだからだ。


ミホはそういう年上オーラが全くない人だった。


というか、地方の何もないところで


どっちかといえば真面目一筋で生きてきた私にとって


ミホみたいなおバカっぽいタイプは異質であり親しくなった経験がなかった。




そういえば高校時代、クラスの後ろの角っこの席で


一日中ミラーを眺めては化粧直しばかりしていた女子に似ている。


語尾を伸ばして喋ったり、耳をつん裂くような笑い声をあげる彼女たちとは


一生交わることはないだろうと思っていたけど。



彼女の部屋で床にあぐらをかいている彼女を見ていると不思議な気分になる。


向かいで大股で座り大笑いするミホを、私は自然に受け入れていた。


いや、今まで味わったことがないほど居心地が良かった。




ふざけて化粧を落としスッピンで向き合った時


私たちの反応は両極端だった。


「何だあ〜。杏、そんなに変わらんじゃん、すっげえ

 ブスとか期待してたのにつまんない〜」


反対に私は真正面にいるどちらかといえば地味な顔をした女の子に


「え、ミホ!?誰かと思った!」


と本気で笑って言ってしまい怒ったミホがヌイグルミを私めがけて投げつけてきた。


でもよく見るとミホは目は小さいけど整った顔をしていた。



私たちはなかなか寝付かず話し続けた。


ミホは東京近郊の都市で育ち、幼い頃父親が出て行ったきりだそうだ。


スナックで働いていた母親の影響で自分も水商売を始めたという。


ミホとの共通点を知り、さらに距離が縮まった気がした。


「私、中学でグレて、ほとんど勉強ってしてこなかったんだ。

だから正真正銘の馬鹿。みんな言ってるでしょ。そのとーり。

英語とかアルファベットとか、あれ読むのが精一杯だし。

だからね、最初はお水なんて馬鹿でもできる仕事だからピッタリだと思ってた。

でもさ、実際はそうでもなかった」


ミホは自分の頭を人差し指で刺し


「多少はここがないとキツイんだよね」


確かに、客には世間において頭がいいとされるオジさんたちもいる。


でもミホはその明るさとキャラが売りなのだからいいのではないだろうか。


「その点、杏は頭いいから羨ましーよお」


「そんなことないって。私メチャクチャ口下手だよ」


「うちの客が言ってた。杏ちゃんてスレてない感じがいいんだよねえって。

絶対処女決まってるって。だから言ってやった。

こんなとこで働いてる女に処女がいたら面白すぎでしょって」


私は苦笑いするしかなかった。


その流れで恋愛話になった。


私は拓哉とのことを話した。


ミホは真剣に耳を傾けてくれた。ー



「何それ、ヤバくない!?その元彼。下手したらストーカーとかになるんじゃない?」


「でも、彼は根は真面目だし頭もいいし、そういうことは…」


「そういう奴に限って多いんだってば」


まさか、プライドの高いタッくんに限ってストーカーだなんてありえない。


私は不安をかき消すように、話題をミホの恋愛話に移した。


ミホはまんざらでもなさそうに


「ええ〜あたしい?」と言ってから


少女のように少し顔を赤らめた。


「あのね、大野ってボーイ分かる?」


私は今日パテオでミホを呼びに来た赤毛のボーイの姿を思い出した。


聞けば2週間ほど前から付き合っているそうだ。


彼の話をする時のミホはフニャフニャした幸せいっぱいの顔になった。


よほど惚れているらしい。


「あのね、彼もね、いつかまっとうな仕事に変えるから

ミホもそん時は足洗えよって言われてンの。

実はさ、近々いい物件あったら一緒に暮らす話も出てんだよね。」


聞けばすでに半同棲らしい。


「今夜私ここ泊まって大丈夫だった?」と聞くと


「ヘーキヘーキ。彼、今夜用事あるんだって言ってたもん」


ミホは嬉しそうに笑った。


こんなに純粋に人を愛せるなんて、私よりミホの方がよっぽど


スレてないんじゃないかと思う。




結局、夜明けまで喋ったり私たちは、その後眠りこけて


目を覚ましたのは昼過ぎだった。



昼下がりの電車にわたしは1人揺られた。


何だか久しぶりにスッキリした気分だった。



これまで学生生活という囲いの中で次々開けていく

交友関係に追いつくのがやっとだった。


どこか張り詰めた気持ちを隠しながら


無理をして笑ったり、喜んだり。


でも私はいつも心を許してはいなかった。


クラスメートやサークルの誰にも。


そこそこ名前のある大学に通う普通の女子大生として

ふさわしい振る舞いを演じてきただけ。


そんな私でも心から誰かと共感しあったり


笑い合えたりすることができるんだ。


そしてそれは素敵なことだ。



私は軽い足取りでアパートまでの道のりを歩いた。



見慣れた外壁が見えてきた時


私はハッとして足を止めた。


アパートの階段に拓哉が座り込んでいた。




「タッくん…何で、どうしたの」


拓哉は立ち上がって私を見た。


「朝帰りっていうか、もう昼?俺と別れてさっそく夜遊びってわけ」


「……」

私はただ黙っているしかできなかった。


「お前、一体なにやってんの?ねえ?」


拓哉は呆れたようにフッと笑うと蔑むような目をこちらに向けた。


「水商売やってんのか?」


私はドキッとして目をそらすこともできなかった。


「昨日つけたんだわー。お前のこと。まさかねー。あんなハレンチな場所で

働いてるなんてな。言葉も出なかったわ。知ってんだろ。俺がああいうとこで

働く奴のことなんて言ってたか」


「…尻軽アバズレ女たちだっけ」


私は小さく言った。


「そ!よく覚えてるじゃん」


「タッくん…」


拓哉は無視して言葉を続ける。


「お前、そんな恥知らずな女だったの?垢抜けない素朴な感じが

可愛いとか思ってたのに。何なの?借金?お前んとこ片親だろ?

まさか消費者金融とか手出してんのか?なあ?」


「タッくん」


「なに」


「これはもう私の決めたことなんだ。これ以上私に構わないでもらえるかな?」


拓哉は呆然と私を見つめた。


私は拓哉の脇を抜けてアパートの階段を上った。





これでいい。


私の居場所はもう彼らのいる所にはない。


私は部屋のドアの鍵を閉めるとため息をひとつ吐いた。


鏡に映った私は髪が乱れて目の周りがくすんでいた。

この先自分になにが待ち受けているのか私には何もわからない。


新しい自分のスタートなのか

それとも

これが私の行き着いた果てなのかも分からなかった。


ただ今、嘘のない私でいたい

それだけのためだった。




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