フェイスターン⑤

前話: フェイスターン ④
  見られた。鬼の角。見られた。
  わたしはうわごとのように呟きながらトイレに駆け込む。
  どうしよう。ばれた。わたしが鬼だってばれてしまった。阿部に。一番好きな人に。もうおしまいだ。この恋も、友情も、学校生活も、全部おしまいだ。だってわたしは鬼なんだ。人間じゃない。人間じゃないものは排除されるんだ。どうしたらいいの。わからない。どうしていいのかわたしにはわからない。ワカラナイ。消えてしまいたい。
  鏡に映った自分の角を見る。泣きたくなるけどなんでか涙は出ない。わたしは帽子を被りなおしてふらふらとトイレを出る。
  阿部が待っていた。
  わたしがまた逃げ出そうとすると、阿部はわたしの腕を強く掴んだ。
「離して」わたしは彼の腕を振りほどこうとする。
「どこ行くんだよ。まだメインの試合が残ってるだろ」
「そんなのどうでもいいわよ。あなた見たんでしょ?」
「見た? 見たって何を」
「角よ。角に決まってるじゃない。角が生えてるんだよ、わたし。鬼なんだよ?」
「何だよそれ。鬼塚、何言ってんだよ」
「だから。わたしは鬼の娘なの。あんたの大好きなサタン鬼塚がわたしの父親で」
「サタン鬼塚? あれはマスクだろ」
「違うの。あのマスクから出てきてる角はあの人の頭から生えてるし、マスク取ってもだいたいあんな顔なのよ」
「そうなの? あれ、本物なの?」
「そうよ。あの人は鬼だし、わたしは鬼の娘なの。だから早く手を離してよ」
「だからってなんでどっか行くんだよ。お父さんの試合見ないと」
「あんた何言ってんの? わたし鬼なんだよ? 意味わかってる?」
「わかるよ。でも鬼塚が鬼だったら何がいけないんだよ」
「え? だってわたしみたいなのと一緒にいたら阿部だって変な目で見られるんだよ」
「そんなことないよ。ていうかそんなことどうでもいいよ。周りからどう見られるとか気にしてたら、人を好きになんてなれないだろ?」
「阿部……。あの、今なんて?」
「あ、やべ。まあいいや。この際だからはっきり言うけど、俺は鬼塚のことが好きだ」
 いきなりの告白にわたしはただ茫然としている。阿部は構わず言葉を続ける。
「頭に角が生えていようが、牙が生えていようが、鬼だろうが悪魔だろうが人間だろうが、そんなの関係ない。俺は鬼塚のことが好きなんだ。一年のときからずっと」
「阿部……。本当にいいの? 鬼の娘でも」
「しつこいな。だいたい俺はサタン鬼塚のファンなんだよ。その娘と一緒にプロレス観れるなんて、こんな光栄なことはないよ」
 わたしはたまらない気持ちになって、阿部の胸に飛び込んだ。受け入れてくれた。こんな角が生えてるわたしを。受け入れてくれる人がいたんだ。
「さあ、戻ろう」と阿部が言った。「お父さん今頃がんばってるよ。鬼塚がちゃんと応援してあげないと」
「うん」わたしは胸の中で頷く。
 阿部がわたしのからだを引き離して「それに」と言った。
「それに?」
「さっきから会場がざわざわして変な空気なんだ。もう気になって気になって」
「もう! プロレスバカ」と言って振り上げたわたしの手を、今度は優しくつかんで、阿部は優しく導くように試合会場に走り出した。
 席に戻ると、阿部の言うとおり、場内は異様な空気に包まれていた。
  相手チームに一方的に攻撃されるサタン。何度もパートナーの高野にタッチを求めるけど、高野はそれに応じない。相手チームは戸惑いながらも攻撃を続ける。何度もフォールを返すサタン。何回か高野はカットに入るけど、そのついでにサタンにまで攻撃を加えてコーナーに戻る。そんな状況が延々と続いていた。
  するとどこからともなく、「サーターン」というコールがわき始める。一人、また一人とコールに参加しだして、最後には会場が一体となってサタンコールをしていた。
  もちろん、阿部も人一倍大きな声でサタンコールをしていたけど、わたしはどうしても声を出すことができなかった。
  相手チームが試合を決めに来た。二人がかりでブレーンバスターを放ち、続けてサンドイッチラリアット。サタンはもう青息吐息という状況だ。そして、とどめとばかりに相手チームの一人がスリーパーホールドにとらえた。
「ねえ、何なの? なんで高野は助けに入らないの?」とわたしは阿部に尋ねる。
「わからない。高野は気まぐれだからね。鬼塚を困らせて楽しんでるのかも」
「何それ。そんなのリーグ戦の決勝でやることじゃないじゃない」
「それをやるから高野はトップヒールなんだ。サタンも奴には逆らえないからね」
「そんな」
 はじめはばたつかせてもがいていたサタンの腕からしだいに力が抜けていくのがわかる。レフェリーが意識を確認するためにサタンの腕を持ち上げて、ぱっと放した。サタンの腕は力なくストンと落ちる。
「あと二回、腕が落ちたらレフェリーストップだ」と阿部がつぶやく。
 もう一回。サタンの腕はまたストンと落ちる。あと一回。
  レフェリーがサタンの腕を持ち上げる。そのとき、「サタン! しっかりしなさいよ」という声が聞こえた。
「変わるんじゃなかったの? ねえ、あなたわたしに言ったじゃない。このままじゃダメなんだって。変わらなきゃダメなんだって。レスラーとしても夫としても、父親としても。見せてくれるって約束したじゃない」
 お母さんが立ち上がってサタンに向かって叫んでいた。
  レフェリーが手を放す。
  ストン、と一度は落ちかけた腕がぐっと握られて、サタンは腕を上げた。
  会場は大歓声に包まれて、サタンはスリーパーホールドを振りほどくと、相手二人に続けざまにラリアットを食らわせた。
「でた! 鬼神ラリアット」と阿部が叫ぶ。
 そしてその勢いのままコーナーにいる高野にもラリアットをお見舞いして、サタンは感情を爆発させた。場内は総立ちだ。
  しかし、リングに戻ってきた高野が、どういうことだとばかりにサタンに詰め寄る。一瞬サタンがひるむと会場からはため息が漏れる。高野が制裁だとばかりにサタンの顔面にキックを放った。でもサタンは倒れなかった。
  ぶるぶると怒りに体を震わせたサタンは、何を思ったか自分のマスクに手を掛けた。
「え? 何やってるの? ダメだよ。そんなことしたら」
 わたしの声はもちろん届かず、サタンはマスクを脱いで高野にぶつけた。そして、あっけにとられた高野にもう一度ラリアットを放つと、そのままバックを取って後ろにぶん投げた。
「ジャーマンスープレックス!」と阿部が驚きながら言う。
 場内はうわー、と盛り上がったあと、サタンの顔に気が付いて静まり返った。
「鬼だ」と誰かが言った。場内がざわつき始める。
 素顔になったサタンは観客の様子に気づいて少し戸惑っている。
  すると「いけーサタン。そのまま決めちゃえー」というお母さんの声がして、ややあって観客たちもそうだそうだ、行けー、とばかりに再び盛り上がりを見せて、場内は割れんばかりの大サタンコールに包まれた。
「うそでしょ? 何これ」とわたしは言った。
 すると阿部が「フェイスターンだ」と言った。そして「言ったろ? 鬼だろうが人間だろうが関係ないって」と得意げな顔で笑った。
 そこからようやくわたしも力いっぱいサタンを応援した。これから先、また悪役に戻っても構わない。わたしはきっとお父さんを応援し続けるだろう。わたしはこのとき、はじめてお父さんを誇りに思うことができた。
  試合のほうは、怒った高野が途中で引き揚げてしまったので一対二で戦うことになって、善戦空しく負けてしまったが、それでも試合後もサタンコールは鳴りやまなかった。
  サタンがマイクを掴んだ。
「皆さん。せっかくの決勝戦をこんな試合でぶっ潰してすいません」
 観客は大歓声で応える。サタンはマイクを続ける。
「俺は見ての通り、鬼です。人間じゃない。試合だってろくにできないし、反則ばっかりしてる。でも、でも思ったんです。もうマスクはいらない。全部さらけ出して、プロレスで勝負したいって。そう思ったんです」
 再び大歓声が起こる。「応援するぞ」と叫ぶファンもいる。
 サタンは「ありがとう」とファンに礼を言って「それからあと一つだけ」と続けた。
「人は。人はきっと変われるんです。ほんの少し足を踏み出すだけで、一歩踏み出すだけで、世界はきっと違って見える。その勇気さえあれば、どんな人にでもチャンスはきっとやってくる。それを見せたかった」
 サタンは大喝采を浴びながら、わたしの顔をまっすぐに見ていた。
  わたしは少し照れ臭かったけど、お父さんに向かってピースサインをした。お父さんも少し笑みを浮かべて小さく体の下のほうでピースサインを作ってくれた。
  リングを降りたお父さんは、まっすぐに最前列のお母さんのところへ行って、お母さんを強く抱きしめた。
「お前のお父さん、やっぱかっこいいな」と阿部が言った。
 わたしはへへへ、と笑って「うん」と大きく頷いた。
  翌朝、登校の準備をしていると、阿部が迎えにやってきた。
「みゆき。阿部くん待ってるから早くしなさいよ」とお母さんはにやにやしながら言う。
 わたしは「はいはい」とおざなりに返事をして家を出る。
「おはよう」とわたしは阿部に挨拶をする。
「おはよう」と言ってから、阿部はわたしの頭を指さして「帽子、被ってないの? 角、めっちゃ見えてるよ」と聞いてきた。
 わたしは答える。
「わたしは鬼の娘だもん。角ぐらい生えてるわよ。文句ある?」
おわり

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