世界47カ国女子バックパッカーができるまで(4)
一枚の新聞記事が私を変えた
初めて親元を離れるということで、両親は私を大学併設の寮にいれていた。
ここは全国各地から集まってきた人たち、そして大学側の交換留学生が一緒に住む国際学生館という名前の施設だった。さらに特色があったのは、学生による自治寮だということ。法学部、工学部、社会学部、文学部など様々な学部の学生が寝食をともにするだけではなく季節ごとのイベント企画や運営までを任されていた。
そういった行事などは主に委員会、というものがあってだいたいが立候補か他推で決まるのだけれども
1年任期の仕事はそう簡単なものではない。でも私はその仕事に入寮すると同時に立候補したのだった。
理由は、2年で独り暮らしをしたいと思っていたから。
親の監視下から離れた私は、ただただ自由になりたいと思っていた。そのためにはひとりで、だれにも邪魔されない日々を送る必要があった。
親の期待にも応え、かつ周りの人々のヒンシュクも買わずにすんなりと2年で寮を出る為には、厄介ごとは最初から片づけておきたい
そのころの私にはそんな消極的、引き算的な部分があった。自分に対する自信のなさ、であるにも関わらずひとに認められたいという欲求のはざまで苦しむような、ありふれた大学生だった。
そんな私の任された役割は文化委員というもので、季節ごとの寮生アンケートや機関誌の発行などやってみるとなかなか楽しいものだった。寮生のランキングや一言などを編集した雑誌を作製しながら、なぜかぼんやりと昔、文章を読んだり書いたりするのが好きだったことを思い出していた。
ある日、転機は前触れもなく訪れた。
毎週月曜日の夜には学生寮の委員会室というところに、1~4回生の委員会の人々は集まって会議をする。
その会議室にいつもより早く着いた私の目に、誰かが会議机の上に置き忘れた日経新聞の広告欄に飛び込んできたのだ。
『世界で、日本を教えませんか?』
~世界中で日本の文化を紹介したり、異文化を体験できるボランティアをしませんか??~
いまでもその瞬間のことを覚えていて、思い出すことができるけれどその瞬間に私は
と思ったのだった。どんなに自己評価が低い自分にでも、日本人なのだから世界で日本のことを教えることくらいはできるかもしれない。誰かの役に立つことができれば、自分にも自信をもてるかもしれない。
けれどもさすがにその1枚の新聞記事が、まさか自分の人生をここまで大きく変えることになるだろうとは予想だにしなかった。
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