見栄っ張りな大学生が二十年の半生を書いてみる。

次話: 自分という人

はじめに

この文章はあくまで私の気まぐれで書いたものであり、「〜をしたら人生が変わった」とか「人生のドン底から復活した」というお話でない事はご留意のほどお願いします。そもそも20年弱という期間なので起承転結の構成を取るのも難しいです。(言い訳)

幼き頃

自分は都内の病院で生まれた。母親の腹の中で暴れていた一方、腹の中から出てこようとしなかったので、手術が30時間ぐらいかかったらしい。(自分は全く覚えていない。)

そうして世の中に出てきたはいいものの、この頃からすでに親からすると手のかかる子だったらしい。

母親の髪を引っ張り、はいていた靴をなくしたり、そんなことをしていたらしい。そして一人っ子育ちということも相まってかなりのワガママであった。(これが後々自分の生き方に関わってくる。)

幼稚園~小学校

ワガママたっぷりの性格の私は周りの人たちへの遠慮ない態度は凄まじかったらしく、そのおかげで小学校以降はほとんどモテず、友達も多い方では無かった。中学受験時代に突入するまでは友人たちとの遊び(主に外での遊びか、家でゲーム)に終始していたが、次第に勉強をさせられることになる。私の成績は元々下のほうだったのだが、このころから親に泣かされることが増えるようになり、自分の性格もねじれていった。自分の担任の先生ですら自分の指導に対しては当初から手を焼いていたが、このころになると突き抜けてしまったのか、もはやあきらめを感じていたようだった。

  ちなみにこの当時、私は所謂「オタク少年」であった。乗り物(主に鉄道)が好きでスケッチブックに「自分の考えた理想の乗り物」といったものを描いていた。勉強面においては歴史分野が唯一得意分野で、よく学校で友人と知識比べをしていたこともあった。運動はド下手くそだったのであんまり触れたくはないのだけれど、水泳や卓球をやっていた時期があった。今も進歩はないがたまにやるのでやっていた意味はあったのかも^^;

そんなこんなで一応私立の中学に受かり進学することになる。

中学~高校

自分が入った学校は女っ気のない男子校であり、加えて医者の息子といった所謂「お坊ちゃん」が多く、中々、特徴のある学校だった。運動に対するコンプレックスや歴史好きだったことから歴史研究部(とは名ばかりのお遊び部)に入り、ここに六年間身をうずめることになる。部活は楽しかったが、この頃から集団生活に疑問を持つ&周りとうまくやっていけなくなり、中二の時に一時的に不登校になる。

その後、学校社会に復帰するも相変わらず中のいい人はほんの少しで、遊びに行くのはスタバやゲーセンばかりであった。^^;

そんな中、成績底辺だった自分は高2のある日「勉強しないとやばい」という謎の観念に襲われ、勉強(受験勉強?)を始めた。高3になってから受験校を調べに調べ、決めたのだけれど…。

統合失調症のようなものを患ってしまった。簡単にいうと周りの人々の声が幻聴に聞こえるというやつである。このことでだいぶ精神を弱らせつつも勉強は継続していた。そして入試も着々と合格を出していったのだが…。

 第一志望校は不合格であった。生まれて初めてかなりの悔しさに襲われた。所謂、初めての挫折であった。親は自分のことを何のとりえもないやつと思っていたらしく、自分の結果に満足していたように見える。

でも個人としては…「挫折から立ち直ったのか?」と聞かれれば、「はい」とは言えない。自業自得なことを頭では理解していても、自分に対して憤りを隠せないからである。思えば中学のころから神経質で人見知りな性格であり、神経症に傾倒しやすそうなタイプではあったのだが…。

まあ、そんなこんなで第二志望の大学に進学し、今に至るのだけれど、いまいちピンと来ない日常を送っている。

サークルでは先輩とけんかしてばかり。親とは相変わらずギクシャク、とお世辞にも自慢できる話じゃないというのが実際のところである。

駄文失礼いたしました。





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