心友 【その七・成人式の後】

前話: 心友 【その六・19歳の秋田旅】
次話: 心友 【その八・理由なき喧嘩】

アルバムをパラパラめくっていると成人式の写真もしっかり出てきた。

1992年1月15日

ハッピーマンデーが適用されたのはおそらく2000年頃のはずなので、この時は1月15日で間違いないはずだ。国内の市区町村で一番成人の多い街。成人式会場は大物アーティストのコンサートや大規模な格闘技イベントで使用される某アリーナ。

正確には覚えていないが、区ごとに分割して午前と午後の部に分かれていたと思われる。そうでなければ収容できないぐらいの成人者数。第二次ベビーブームの煽り。

写真を見る限り自分は午後の成人式に出席していた様子だ。ただ成人式そのものの記憶は殆ど残っていない。印象にあるのはゲストに沖縄の三人組アーティストが来ていたことや、市長の書いた成人に向けて送る一筆がご丁寧に額に入れられたこと。それとその他のお祝い品などで帰りの荷物がやたらと重くなったことぐらいだ。

成人式会場でも数枚写真は残していたが、ほとんどの写真は成人式会場ではなくカラオケボックスのものだった。

秋田から戻ってきていたクロイワはスーツ。トクシマは紋付袴だ。同じくスーツ姿の者や諸事情で成人式には出られなかったものの、カラオケにだけ駆けつけた私服姿の者が写っている。

普通ならスーツを着慣れていない、むしろスーツに着られていると表現するほうが相応しい成人式。しかし自分は妙にスーツを着慣れていた。というのも大学に入ってからのアルバイトが予備校や塾での試験監督だったからだ。

この手の仕事にスーツは必須。ましてや大学よりもバイトの方で忙しい身分なので、スーツ着用は日常茶飯事。一人老け込んだ成人だったかもしれない。

写真の中の皆はやや顔が赤らんでいる。酒もそれなりに嗜んだのだろう。自分はこの後高校時代の悪友と合流するため席を外したが、残ったメンバーはいつまで遊んでいたのやら?朝までだったのだろうか…

さらにアルバムをめくると謝恩会のような場所にも行っていることがわかった。この日はかなりなハードスケジュールだったに違いない。

それぞれが成人という一つの区切りを迎えた年。しかし、この先自分や自分の身の周りで何が起こるかなどということはまだまだ深刻に考える必要もないであろう年。そう、一言でいえば平和だったのだ。

ただ、平和の裏側には対照的な何かが存在するのもまた事実。特にクロイワには怪しげな影が忍び寄りつつあった。



著者の山口 寛之さんに人生相談を申込む

続きのストーリーはこちら!

心友 【その八・理由なき喧嘩】

著者の山口 寛之さんにメッセージを送る

メッセージを送る

著者の方だけが読めます

みんなの読んで良かった!

STORYS.JPは、人生のヒントが得られる ライフストーリー共有プラットホームです。