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13/5/6

スペインに留学すると言ってとある離島に1年間住んだ話 番外編(サッカー版)

Image by Olia Gozha

なんということでしょう!


時は風の如く。

既に4月ぐらいになっていた。

今までの話ではサッカーを主旋律にあまり絡めないで書いてきていた。だけれども、この留学では重要で一番大事な部分はやはりサッカーだった。

Tijarafeのユースでは11月頃から僕はさり気なくレギュラーFWの定位置を占めていた。

めちゃくちゃ点を取りまくる相方と組みながら幽霊の様に現れてボールを取ったりいなかったはずの所に現れたりするプレースタイルからチームメイトからFantasma(幽霊)というありがたいのかよくわからないあだ名をもらった。

そんなある日の午後。



コーチ「おい。ショウ!トップの監督が呼んでるぞ。ちょっと来い。」

「はいはい。一体何でしょう。」

トップの監督「ショウ。明日からトップチームの練習に合流しろ。」

「え、ええええええ!!?」

今でも何かの間違いなのではないかと思うのだが、スペインリーグ3部のチームの練習に参加することになった。

これがどれだけ凄いことなのかというと…


スペイン1部(バルサとかマドリーとかいる)

スペイン2部A

スペイン2部B

スペイン3部←ここ!


あ、こう書いちゃうとあまりすごく思えないか。

イメージ的には突然日本で言う(J2の下)JFLのチームの練習に参加するようなものと言ったほうがいいのでしょうか。

そんなチームの練習に突然参加することが出来るなんてサッカー強豪校だったりユースの選手じゃない限りそうそうないでしょう。


ちなみに選手登録はできないみたいでした。2部Bと3部はスペインのパスポートがないと特例がない限りダメみたいだ。

(この流れでよくトップの選手からスペインのパスポート取っちゃえよとか言われたのですが)


トップチームでの練習


 そんな突然のトップ昇格を言われて次の週から練習に参加する。

でもそこで待っていたのは次元が違うものだったことに気がついた。

元々体力とあるかないかわからないテクニックで勝負してきている選手だったが体力に関してやはりトップチームは違う。フィジカルも更に強い。

スペインのサッカーは現在のバルセロナをイメージする人が多いかもしれないが、この地域ではゴリゴリのフィジカル。フィジカル勝負を仕掛けられると、ずっと負けっぱなしだった僕に取って非常に大変で生傷が絶えなかった。


もちろん負けないように筋トレをおこなったり、ゴルフィというカナリアのプロテインもどきを朝晩飲んでいたりした。


(ただ、朝晩飲むと学校で必ずお腹を下したので途中から夜だけにしたが)


そんな環境にぶち込まれてユースの試合とかに出るとまたぜんぜん違う世界が見えたりもするのだが。

(足をつりながらヘディングシュート叩き込んだり、フリックでゴール決めたり)


でも自分の中で限界が見えてきた。

今までサッカーを中心に物を考えてきていた生活だったけれど限界が見えてきたことによって他の道も考え始める必要があった。


一番の転機


そんな時、たまたまオーナーである従兄弟が家に訪ねてきていた。

前々から聞きたかったクラブ経営に関して聞くことが出来た。


「クラブが自慢できることはある?」

オーナー「それは、サポーターの数だな。うちは200人もいるんだ。」

「へ、へぇ〜。そうなんですか…。」

オーナー「よく考えてみろ。隣町は人口2万でサポーター200人だ。でもうちの町は人口2千人だ。それでサポーター200人だと人口の10分の1だろ!」

この時、僕はハッとした。


オーナー「だいたいな。うちの様な規模の街にあるチームが3部にいる時点で奇跡なんだ。今、3部で生き残れるのは町の人達が誇りだと思って支援してくれているからなんだ。」

オーナー「昔は、グランドもなんにもなかった。でも、山沿いにスタジアムを作って、みんなが集えるような場所を作って、そうやってこのチームと街はできてきたんだ。」

サッカーチームはチームだけで成り立っているわけではない。

チームを作ることによって街を作っていたのかもしれない。


大学ではスポーツビジネスをやってサッカーチームを作ろうと思っていた夢が少しずつ変化していくのはこの言葉からだった。


やがて、トップチームのシーズンが終わりユースチームのトーナメントが最後のイベントとなる。


見事に決勝戦まで勝ち進んだ。

最後の最後で決めていた。

「この試合で勝ったらサッカーを続けよう。負けたら…もう終わりだ」


果たして結果は、


惨敗で終わった。

自分自身のパフォーマンスとしても、最悪だった。

決定的な場面を3つも外し、0-1で負けたのだ。

そんな傷心な状態で留学生活最後の2週間を迎えていた。


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