僕と起業と両親の離婚

前話: 世界最大手会計事務所を3年で退職後独立し 年間2億円以上稼ぐようになった話。

はじめに

自慢の両親

突然の別れ

男手一つで育ててくれた父

養子問題

どうおさめるか

仲間をくれたビジネス

僕と起業と両親の離婚 僕は今30歳です。


立命館大学在学中に公認会計士試験に合格し、卒業後は有限責任監査法人トーマツへ就職。

詳しくは、 ”偏差値35だった僕が名門大学に入学し 在学中に公認会計士試験に合格した話。全6話” をごらんください。

2013年3月に3年間勤めたトーマツを退職して起業し、 現在は株式会社Social Riverの代表取締役です。 独立して4期目を迎えています。

事務所なし従業員なしでほぼ固定費がかからない中、 粗利ベースで今期は年間2億円以上を見込んでいます。

こちらも詳しくは、 ”世界最大手会計事務所を3年で退職後独立し 年間2億円以上稼ぐようになった話。” をごらんください。

今は1日平均60万円の利益が僕の口座に入ってきます。 働いているのは1日3時間くらい。 時給に換算すると約20万円くらいです。

お金と時間の両方を自由に使える生活を手に入れ、 今僕は悠々自適な生活を送っていますが、 これまでの人生も決して順風満帆ではありませんでした。

その一つに両親が離婚するという出来事があります。

僕が中学2年の時に両親が離婚しました。

大好きだった母親が突然、赤の他人になりました。

今でもあの日のことを思い出すと、どうしようもなくやり場のない感情が蘇ります。 心にぽっかりでっかい空洞ができてしまった出来事です。

いくら自由に時間を使って、お金を使って今まで我慢していたことを、 何も我慢せずに好き放題遊び散らかしても、 あの時の悲しみ、母がいなくなったという痛みが消えることはありませんでした。

自慢の両親

僕の家族は父と母と兄の四人家族。

父は写真館の個人事業主でした。


地元の人たちの七五三などの記念写真や、学校行事の写真を撮るプロのカメラマンです。 実直な人柄が地元の人たちに好かれていました。

母は、僕が言うのも変ですが、めっちゃ美人でした。 若い頃はミスコンで選ばれたんだと聞かされました。 そして父と母はとても仲が良かった。

子供の僕からして見れば、自慢の両親だったんです。

うちはお金持ちでもなければ、ひどく貧しくもなく、毎日がそれなりに楽しい、 アニメのサザエさんのような日常を送っていました。

突然の別れ

「アキノリ、話したいことがあんねん、明日、学校の帰りにこっちよってや」 何日かぶりに電話で呼ばれ、母の実家へ行きました。

当時、父と母は離婚の相談をしていたんだそうです。 でも僕や兄さんは 「お母さんは病気にかかって、しばらく実家で療養している」 と聞かされて、のんきに信じていました。

自宅から少し離れたところにある母の実家へは頻繁に遊びに行っていて、 その時に会う母はどう考えても元気いっぱいだったのに。 まったくぼんやりした子供でした。

その日母に呼ばれたのも、気楽なもので、今度の冬休みに行く家族旅行の計画でも立てるのか、 それとも小遣いでももらえるのかと思っていました。

それが、衝撃の展開になってしまったのです。

「お母さんたち...離婚すんねん」 「そんでな...アキノリとお兄ちゃん、どっちについていくか決めて欲しいねん...」

突然の告白...。

母が何を言っているのか、まったく理解することはできません。

でも、涙がドボドボ出てきて、大号泣。

一生分の涙を一気に流すくらいに泣きました。

父と母が喧嘩しているところなど一度も見た事はありませんでした。 いつでも楽しかった。


ただ一つ、今から思うと、父の実家は普通でしたが、母の方がとても裕福だった事が深いところ

で火種になっていたのかもしれません。

「なんでやなんでそんなんなるの?」 「おかしいやろそんなん!考え直して、な、お母さん、お父さんには僕がやめてくれ言うから。 そしたらなんとかなるから!」 「お母さん、もう僕の事なんかどうでもええの?僕を捨てる気ぃなの?」 僕は叫び続けました。

母を責めました。

母は悲しげな顔をして、そんな僕の言葉を黙って受け止めていました。

兄弟男二人だから父側と母側に一人ずつ分かれろと言われ、その選択を迫られました。 今思い出してもヘビーな話です。

母親たちは横浜に住むみたいで、三重からいきなり都会に行く自信なんてありません。 14年その土地に住んでいるから、いきなり引っ越してまったく新しい中学校に行って、 一から友達を作るっていうのは、当時は本当に嫌でした。

さすがに無理って言って、 親父側に二人ともついたのです。

そうなると母親と仲が悪くなります。

「あんたなんか子供じゃないっ」

てくらいもめました。

もちろん言葉の上だけでしたが。

そこから少し荒れました。

ちょっとグレたというか、髪を染めたり、ピアスを開けたりしました。

男手一つで育ててくれた父

中学生時代、勉強が本当に苦手だった僕は勉学は諦めて、野球に打ち込みました。

「カラダを動かして推薦で高校に行こう」

と思っていたのですが、両親が離婚した時、

もう野球で上に行ける才能がないのは気づいていました。

このままでは将来がヤバいと本気で思うようになりました。

写真館を経営するカメラマンの父の収入では私立の高校や大学は厳しいんだろなと感じていたの

で、公立の高校を受験することにしました。


一念発起して勉強に打ち込みましたが成績は全く上がりません。 結果、地域で下から3番目といわれるヤンキー高校へ進学しました。

それから父に無理言って、予備校へ通わせてもらい、死に物狂いで頑張り2浪の末 立命館大学へ入学しました。

父も母も大喜びでした。 ちょっとグレて高校を辞めたいなんて言ってみたり、 プロミュージシャンになりたいと言ったりと、 紆余曲折があった末にいい大学へ入れたのです。

報告をしに母の実家へ顔を出したら、祖父母も大喜びでした。

「頑張ったよなあ、アキノリは。うちでもずっと心配しとったんやで」 思いもしないご馳走責めにあってしまいました。

そして、父には感謝しきれません、 離婚して稼ぎ手が一人になってもお金もないのに高校に通わせてもらって、 2浪の方は200万円くらいかかりました。

最初は、お前は頭が悪いから浪人しても大学に行けないだろうって父は僕に言ったんです。 でも浪人させてくれました。

なんだかんだ僕のやることを支援してくれたんです。 大学だって京都に行ったので、仕送りしてくれました。

だから必ず結果で返すんだって思いました。 そういう感じで、感謝を結果で返し続けて親孝行しようと心に誓いました。

養子問題

大学に合格し、僕は在学中に公認会計士の試験合格を目指してTACという会計士試験合格のため の予備校にも通っていました。

一心不乱に公認会計士の資格試験に励んでいた頃、僕にとって究極の人生トラブルが発生しまし た。

始まりは、母からの連絡でした。 ある日、TACでの自習を終えて帰宅すると、母から電話がかかってきました。 話題はごく普通のことでした。

公認会計士の試験合格に向けて頑張っていること、

大学の授業のこと、


一人暮らしで不自由はしていないかなど、 ごく当たり前の親子の会話です。

しかし、電話をそろそろ切ろうかというタイミングで、母はこんなことを言ってきました。

「今更だけど、アキノリだけでも苗字を変える気はない?」 「それって母さんの苗字になるってこと?」 「そう。やっぱり、親子のつながりが欲しいの。」

年月が経って僕が大人になったぶん、”手元で育てたい”というニュアンスはなくなっていました。

とはいえ、母は「自分の子供になって欲しい」という願いは変わらず持ち続けていたんです。 そのため、「母と養子縁組をする」という提案を持ちかけてきました。

驚かなかったといえば嘘になりますが、中学校の頃のような反応はありませんでした。 唯一心配だったのは父の反応ですが、いつも僕を応援してくれたことを思うと、OKしてくれる気 がしたんです。

それに、苗字が変わるだけで親子の関係に影響するとは思えませんでした。 ですから僕は、本心のまま「別にいいよ」と答えたんです。

しかし、これが思わぬ方向に発展しました。 兄から電話がかかってきたのです。 男同士ということもあり、普段はあまり連絡を取っていません。 さすがにただならぬ雰囲気を感じました。

「母さんから聞いたけど、養子になるって話、本当か?」

「そうだけど、まずかった?」

「さすがにありえない。考え直せ。」 短い会話ではありましたが、どうやら僕が思っていたほど簡単な話ではなかったようです。 兄からの警告を受け、僕は一旦養子の話を保留にすることにしました。

この後、父と母は相当揉めたようです。 もしかすると、離婚当時よりも白熱していたかもしれません。 父からしてみれば、僕は男手ひとつで長年育てあげた息子です。 一方母は、自分がお腹を痛めて産んだ子と、他人のままでいるのは耐えられなかったんでしょう。

「お母さんの子供になって欲しい」

「お前はずうっとうちの子だ」

両親から対照的な説得を受ける日々が続き、さすがに僕も参ってきました。 僕からすれば二人とも大切な両親です。 母の養子になる選択をしたからといって、父をないがしろにしたいわけではありません。


離婚によって寂しい思いをしていた母を、少しでも喜ばせてあげたかっただけなんです。

とはいえ、僕自身の選択がこの状況を招いたのは事実です。 「養子になっての大丈夫だろう」 という思い込みのせいで、両親を争わせることになってしまいました。

「どうすれば、父さんと母さんのケンカを収められるだろう」 責任を感じた僕は、一旦実家に帰りました。 双方に和解して貰うために何とかしようと思ったのです。

結局、この行動がきっかけで、この問題はなんとか収束に向かう事になりました。

どうおさめるか

この騒動で、僕は2つのことを学びました。

1つ目は、「何か亀裂が生じたら直接会いに行くこと」。 すべての予定をキャンセルしてでも、その亀裂を治すために話合いに行く。 人間同士、会えば大体大丈夫なんです。 電話やメールだけでは、どうしても意思の疎通に限界があります。 そこで、父と母の元を訪れ、双方の考えを直接聞くことにしたんです。 一方的なメッセージだと反発するけど、会えば大体和解しようとするものです。

両親の場合も、顔を合わせて話を聞くことで二人の思いが伝わってきました。 どちらも僕のことを真剣に考え、ベストな方法を模索してくれていたんです。 それに、息子を前にすると両親の気持ちも和らぐようでした。 自分の意思を通そうと必死になっていた二人が、和解の道を探り始めたんです。

2つ目は、「自分の常識は必ずしも人には通用しない」ということを学びました。 「絶対に大丈夫だ」「絶対にダメだ」という思い込みは間違いのもとで、まずは確認するのが大 切だということです。

「信じるな、疑うな、確かめろ」 というフレーズがあるのですが、この時は、僕は絶対に大丈夫だという思い込みだけで行動し、 混乱を招いてしまったんです。それを痛感したので、僕は事実を確認するために両親に会うことに しました。

親子の修羅場を経験したことで度胸もつきました。

離婚も含め、若いうちに大きな問題に直面したことで、ちょっとやそっとのことでは動じなくなっ たんです。

この養子問題以降は「怒る」ことも一切なくなりました。 時に人から理不尽な仕打ちを受けても、「あの時の比べれば」とポジティブに考えられます。


今思うと、このマインドの強さを手にしたことで乗り越えられた出来事も多いのです。 この発見は、僕の人生において非常に大切な学びでした。

養子問題を通して僕が学んだこれらのことは、社会に出て役立つ場面が結構多いと思います。

仲間をくれたビジネス

大好きだった母親が突然赤の他人になった時、僕は涙を一生分流し、人格さえも変わりました。

そんなことがあったから、今の自分がいるってことはわかっていますが、 いくらお金を稼いで自由になったといっても心にぽっかりと空いた穴を埋めることはできませんで した。

そんな時、僕にこう言ってくれたパートナーがいました。 「金川さんに一生ついていきます!」 僕は嬉しくて嬉しくてたまらなかった。

「もう一回言って」 と聞き返して、もう一度言って欲しいほど、嬉しかった。

絶対に声に出さないし、表情にも出さないけど、 心にぽっかり空いたでっかい空洞にようやく臓器が返ってきた感じでした。

安心できる気持ちを味わうことができたのです。 「自分でビジネスをしよう。起業しよう!」

と行動を起こしてきた結果、 これまでビジネスを通じてたくさんの人と通じ合うことができました。 そうやって、多くの人と出会って、仲良くなればなるほど、その人の心の不安とか、僕みたいに心 に傷を持った人に出会うことが増えていきました。

僕が母に、

「お母さん...離婚するね......さようなら」 と言われ、何も言えずに泣き崩れて、あたふたしていた時と同じような人に何度も会い、 現実、社会の厳しさ、老後、年金の不安、会社の激務、そんな厳しい環境におかれて昔の僕みた いに立ち往生している人がたくさんいることに気がつきました。 現実を全く受け入れることができず、あたふたしてしまっている人がいっぱいいます。

僕には他人事にはどうしても思えないんです。 どうしても無視することができないんです。 僕は、その人たちをどうにか助けたい。


あなたを救いたい。

そういう人たちを見ていると、どうしても自分のことのように思えてしまって、 僕にたくさんの大切な仲間をくれたビジネスを教えることを始めました。

それから、どんどん大切な仲間が増えていき、徐々に心の穴は埋まっていきました。 ビジネスは僕にそんな大切な仲間をくれたのです。

かつて、母との突然の別れを経験した中学2年生の時の、心に決意した 「もう大切な人を失いたくない」という気持ちとは逆に、 僕は大切な人を増やしていくという結果に巡り会えたのです。

本当に信じられる大切な仲間が手に入れば絶対に幸せになれる。

これも全ては、

「自分でビジネスをしよう、起業しよう」 と感じ、これまでビジネスを通じてたくさんの人と通じ合うことができたからだと思います。

(終わり)


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