介護を現実のものとして考えていく 【その一・兆し】
最近ネット広告に頻繁に表れる「介護」「老人ホーム」の文字。
そう。こういった情報を頻繁に検索しているのでクッキー情報が流れているのだ。
だから広告として出てくるのは必然でもある。
具体的に介護ということを意識するようになったのはここ数ヶ月の話だが、遡って考えれば数年前から義父がこの状況にいずれたどり着くことは予見できたのかもしれない。
当初は何となく食事をするのにおぼつかない部分があったり、記憶が曖昧だったりという痴呆やパーキンソンを疑うような症状が出始めていたはずだ。
そんな状況で娘が真っ先に思いついたのが運転免許の返納だった。
これは結果的に大正解。
あのままの状態で運転を続けているようなことがあれば、いつか必ず事故につながっていたと仮定してもおかしくない。
年齢的なことも踏まえて、痴呆やパーキンソンを疑ったことで幾つかの診療所にも通った。
気がつくと家は薬の山になっていた。
正直なところ食事よりも薬だけで満腹になりそうな量だ。
プロテインのようにしてシェイカーで飲む薬もあったのだから。
手足に全く力が入らないわけではない。しかし脳から送られる信号と手足の動きが合わない。
立ち上がる際に何処かにつかまろうとする。しかし掴んだものが脆かったりすると何の役にも立たない。力の加減ができないからだ。
座るときも勢いよく座り込んでしまう。ひっくり返ってしまったら本当に危ないぐらいの加速度。
用をたすのも一苦労だ。薬を飲むことでどうしても水分を多めに取る。
だから頻繁にいきたいと感じてしまうのだ。つまりそれだけ家の中を動き回らなければいけない回数が増える。
時には間に合わないことだってある。それは致し方のないことだ。
ある時は浴槽でのぼせてしまったのか身動きがとれなくなり、ひとまず浴槽のお湯を抜いて対処したこともあった。
ただ、同居しているのは年老いた義母一人。その浴槽から引き上げることがままならない。
やむなく近所の方に手伝っていただいて何とか対処したそうだが、本当に危険極まりない状況だ。
救急車のお世話になることもあれば、義母が支えながら歩いていたけれど支えきれずに二人揃って転んでしまい周りの方に助けていただいたこともあった。
普段は大人しい性格の義父だが、何かの折に珍しく声を荒げることもあった。
多分だが本人の意思そのものではない。そうさせる何かが起こっているのだ。
CTスキャンなどをとっても大きな異常は見つからない。
一体何が原因なのか。
しかし、この時点ではまだ痴呆やパーキンソンであろうという選択肢以外は思いつくことすらなかった。
さすがに健常者という状況ではないので介護認定の申請を行った。
申請の判定結果は介護1だった。
そこでリハビリという意味も込めて週に1度のデイケアサービスなどを利用してみた。
デイケア施設はなかなかお気に入りだったようだ。大人しい性格が幸いしたのかもしれない。
スタッフや他の利用者からも人気者だったらしい。
デイケアに行くのはかなり楽しみだったようで、前日には自ら率先して支度をしていたらしい。
そんなデイケアから帰宅したある日の夜。
手足をバタバタさせるような症状が起こり、義母も眠れないという、そんな状況が起こった。
このままでは埒があかない。自分がおかしくなってしまいそうだ。
そう思い義母は救急車を呼んだ。
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