世界旅後手持ち300ドル、家族も友人・恋人、時間もお金もすべて失い失意のまま帰国したバックパッカーが自分の夢を叶えてきた記録(2)
回想(1)
キラキラとさざめく海の波間を見ながら、ケイシーは回想に耽ってゆきます。
世界一周後、ヨルダンに住み始めたきっかけはささいなことでした。
そう、理由はシンプル。好きな人ができたからでした。『もうすぐ断食月だし、仕事が始まるまで僕の家に来たらいいよ!』と彼が言ってくれたので、彼のお家にしばらくホームステイすることになったのです。。。
彼が一緒に暮らしている家族はパパのアドゥナン・ママのハーニャ、ラナ、サラ、ファティマの姉妹三人、おばあちゃんの七人でした。ほかに、既に結婚してお家を出た妹二人とお兄ちゃん二人がいます。なので計十人家族!!!マーシャーアッラー!(Oh my god!)
けれどもヨルダンではこんな大人数の家族は普通で、ダーリンの一番下の妹十二歳のファティマでも、ちゃんと料理もおつかいも、赤ちゃんのあやし方まで知っているので驚きです。
ヨルダンの日本人のお友達、よしこさんが以前、子供を育てるならムスリムの文化は一番いいわよっと言っていたのを思い出すのですが、ここなら確かに日本であるような反抗期とか、なにもせず家事は母親任せで家でだらだらしちゃう子供はうまれないだろうな~と思います。
彼の家族も、みんなお互いが大好きでしょっちゅう親戚が夜中にお宅訪問してくるようなにぎやかな家庭です。
彼のお家で大家族と生活し始めてから早くも二週間。
ラマダーンに突入してからは、家族と一緒に昼過ぎに起きてからお掃除を手伝い、それから夜八時のイフタール(ラマダーン明けの食事)の準備を手伝って深夜三時くらいまで起きて、イフタールの残りをつまんでから寝る・・という生活です。
それにしても,まさか自分が本格的な飲まず、食わずの修行をすることになるとは思っていなかったのでラマダーン始めのうちはパワーが出なくてずっとベッドに横になっていました。それでも人間の体って、順応できるものなのだなと感じました・・
一週間もすると昼過ぎに起きてからお掃除のお手伝い、買い物、お洗濯となんやかんやとお家の中をちょこまか動き回るようになっていました。
これから夕飯の材料を買いに行くということで、玄関にいたお財布を持ったママと四女のサラの後ろ姿へ向かってケイシーは話しかけました。
ケイシーとしては、いつもお世話になっているぶん、一緒に行って何か食材を買いたいと考えていたのです。
三人でトコトコと道を歩いて、五分くらい離れた場所にある八百屋さんにやってきました。
野菜の種類は少ないのですが、ケイシーは入口にうずたかく積み上げられたスイカを見て言いました。
ママが笑顔でケイシーの顔を覗き込むと聞いてきます。
ケイシーは山の中から大きくてよさそうなスイカをひとつ、選びました。
両腕に抱えるほどのスイカはずっしりとしています。そんな大きさなのに、八百屋のお腹が突き出たおっちゃんが秤に載せて言ったお値段はたったの三ディナール弱でした。(約四百五十円)
ところがどっこい欲張って大きなスイカを選んでしまったので、持って帰るのが一苦労です。入れてもらったビニール袋がパツンパツンに指の関節に食い込んで、カンカン照りの下を気遣いのサラにも手伝ってもらいながら大変な思いをして持ち帰ったのでした・・
実はこの話には後日談があり、なんと開けてみたらこのスイカは中身がスカスカのカスのようになっていて食べられたものではありませんでした。そう、大変な思いをして持って帰ったっていうのに、なんとババをひいてしまったわけです!
その後、また三人で八百屋にこの重いスイカを持って行き、新しいスイカに取り換えてもらってえっちらおっちらと戻ってきたときにはママのハーニャとサラとケイシーの間に一種の何かを成し遂げた一体感が生まれたことは言うまでもありません。親切心がアダになったかと思ったら、言葉もろくに通じなかったママとサラと、通じ合うものが生まれたということもあるのだから人生って不思議です。
そんなケイシーの彼氏宅滞在中、彼のママ、ハーニャに習ったお料理の数々は数え切れません。
細揚げパスタ入りライス、ゴマペーストが香ばしい・タヒーナサラダ、素朴なレンズマメのスープ、葡萄の葉でご飯を捲いた酸っぱい春巻き・ダワリ、レンズマメご飯のムジャッタル、オクラのスープ・バーミャン、香ばしいローストピーナッツがアクセントのビリヤニ。
アラビックの人たちって、食のレパートリが少なくてさらに自分に馴染みのない食べ物にはあまり関心がないってイメージだったのですが、やっぱりどこの国も家庭の料理は美味しいものだなあと改めて思うのです。
昼の五時頃から、姉妹は台所に集まってそれぞれに小さなナイフを持ち、床で玉ねぎの皮をむいたりきゅうりやトマトを切ってサラダを作ります。お互いに床の上に膝立ちになり肘で笑ってつつきあいながら角切りにした野菜に刻んだパセリとミントの葉を入れて、アラビックサラダを作ると今度はママがコンロの前に立って鍋の中に小豆のようなつやつやとした豆を入れて煮始めるのです。
夜の八時になると料理はあらかた完成して、家族が居間に集まって大きなテーブルクロスを床に広げ、そのうえに料理を次々と並べます。
アラビックサラダ、ヨーグルト、レンズマメごはんのムジャッダル、乾燥したナツメヤシの実、飲み物はペプシとオレンジジュース。たまにパパが近所で買ってきたプレーンヨーグルト。
パパのお祈りと一緒に始まるイフタールと呼ばれるこのご馳走。ママの手料理は特にいつも美味しくって、パクパクとスプーンが進むのを押さえられないのです。
家族もケイシーに向かってクリ!クリ!(イラクの言葉で食べろ!食べろ!!)と大きなお皿にご飯をよそってくれます。
食事のあとは、ミント入りのアラビックチャイで休憩していると身も心も満たされて貴重な体験をさせてもらっているなあって、実感する瞬間です。
・・・そんな家族のことを思い出すだけで、心臓をぎゅうっとわしづかみされたような気持ちがしました。
記憶は自然と、ヨルダンで始めた仕事のことに移ります。
著者のCathy Keiさんに人生相談を申込む
著者のCathy Keiさんにメッセージを送る
著者の方だけが読めます