横浜大洋ホエールズとともに生きていく 【其の七・1998/10/8】

前話: 横浜大洋ホエールズとともに生きていく 【其の六・優勝への布石】

自分の生年月日と同じぐらい大事な日。


1998年10月8日。


できることなら甲子園に行きたかったあの日。でも私にはもはやその体力が残っていませんでした。


10/3~6のハマスタ・スワローズ4連戦にすべてを賭けて現地入りしていたのです。


今だから言えますが、懇意のパートさんに上手いこと取り繕ってもらいながら、正社員なのに毎日会社を早引けしていたあの4日間。


それにしてもビジター側とはいえよくチケットが取れたものです。


マジック3が続きモヤモヤする日々。伊藤智仁、川崎憲次郎、石井一久。本当にいい投手ばかり持ってきやがって、スワローズ(笑)


この完膚無きまでの3連敗でハマスタでの胴上げは遠のくも、10/6の4戦目で一矢報いてマジック2。


記憶違いでなければその翌日の10/7にドラゴンズが破れたことでついにマジック1。


そして甲子園。後にも先にもここまでドキドキしながらテレビ観戦したことはなかったかはず。


進藤の渋いタイムリーでリードしても、あの年矢野に打たれた以外はほぼ完璧なイメージしかない大魔神がマウンドに上がっても、動悸が収まりません…


新庄を三振に斬って取る。佐々木と谷繁がマウンドで抱き合う。ナインが集まる。


その光景をテレビで見つめながら、涙がとめどなく溢れて画面が曇って見えない……となる方が普通なのかもしれませんが、この瞬間は信じられないぐらいに冷静でした。


一言でいうならば「安堵感」


歓喜の喜びというよりもただただホッとしたというのが正直なところでした。


そして、たまたまテレビを一緒に見ていた母親と無言で握手。元気な母親とガッチリ握手をしたのはこれより後にも先にも一度きりのこと。


優勝の実感が湧いてきたのは試合後の祝勝会風景やインタビューを見始めた頃からでしょうか。


友人や親戚から「優勝おめでとう」メールが何通も届いたことを覚えています。私が何かに優勝したわけでもないのに(笑)


日本シリーズのチケットは電話戦で完敗。こちらもすべてテレビ観戦でした。平日のゲームは仕事そっちのけで会社のテレビを拝借していたはずです。


今ならワンセグもアプリ速報も普通に使える時代になりましたが、当時はまだまだそんな時代ではありませんでしたから。インターネットもダイヤル回線だったかなと。


日本シリーズも制覇し、日本一の球団として凱旋パレード。さすがにパレードだけは居ても立ってもいられず見に行きました。アナログの写真をひたすら撮影しまくった記憶があります。


箱根駅伝の神奈川大からはじまった1998年。横浜高校の春夏連覇など印象深い一年でしたが、調べてみると神奈川ゆめ国体が開催されていたり、大学ラグビーで関東学院大学が優勝したりと色々なところで神奈川フィーバーの年だったのだなぁと。


ちなみにこの年に生まれた松尾、京山、細川が2016年のドラフトで高卒ルーキーとして横浜に入団。あの劇的な1年から、もうそれだけの月日が流れてしまったのだということを改めて思い知らされます。


この絶頂の瞬間はやはり刹那的なのものでしかありませんでした。あっという間に転げ落ちていきます。


【1998年】歓喜のV


79勝56敗1分 勝率.585 【順位】1位


規定打席到達7名(鈴木尚.337【首】 ローズ.325【5】 石井琢.314【6】)

最多安打 石井琢 174本

最多盗塁 石井琢 39


規定投球回数到達2名(斎藤隆2.94【6】三浦3.18【10】)

最優秀救援 佐々木 46S


79勝のうち48セーブで試合を締めていたようで…\横浜優勝/

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