横浜大洋ホエールズとともに生きていく 【其の六・優勝への布石】
ある意味番長らしいゲームだったなぁと…
鈴木尚典&石井琢朗がベイスターズを去っていったあの時以来の涙腺崩壊だったかもしれません。
さぁCS!!行こうぜ!!ハマの向こう側!!
1998年のあの歴史的な1年を迎えることができたのは、前年の1997年の戦いがあったからこそだと思っています。
9/2。石井一久にノーヒットノーランを食らった時点でシーズンは終わっていたのかもしれません。しかし終わったのはあくまで1997年の1シーズン。翌年につながるだけの悔しさと動機づけをもらったのことは確かです。選手も、スタッフも、ファンも。
95年から最優秀救援投手の地位を築き続ける、大魔神・佐々木がいることで8回までリードしていれば絶対に勝てるチームになりつつあったベイスターズ。しかし、先発陣がゲームをつくることが難しかったのが現実でした。
ところが97年は二桁勝利をあげた先発が4人。
川村、三浦、野村、戸叶。
きれいに揃って全員10勝でしたが(笑)
たらればは禁句を承知で。もしこの97年に斎藤隆が故障していなければどうだったのだろう?
などという仮定の話は振り返らないことにしましょう。とにもかくにも先発と抑えが出来上がったシーズンでした。
今で言うところのセットアッパーには五十嵐、島田直。左のワンポイントには河原。頭数は揃ってきました。あともう1、2枚あれば…
打線に関しては言うべきことは何もなし。レギュラーはほぼ固定です。
捕 谷繁
一 駒田
ニ ローズ
三 進藤
遊 石井
左 鈴木尚
中 波留
右 佐伯
左投手の時に右打者(畠山・川端etc)と入れ替わることもあった佐伯を除く7名が規定打席に達していました。
鈴木尚典が首位打者を獲得し「ハマの安打製造機」と名付けられたのもこの年だったでしょうか。
それにしても若いチームでした。
ベテラン組は駒田は35歳、畠山が33歳、宮里が32歳。
谷繁、進藤、石井、波留、佐伯が27歳。
鈴木尚は25歳。
主力投手陣も、
佐々木 29歳
野村・五十嵐・盛田 28歳
島田直 27歳
河原・関口 26歳
川村 25歳
三浦 24歳
戸叶 22歳
最年長でも西の31歳
まさにイケイケのチームです。勢いがついたら止められません。でも負のスパイラルに入ったらそう簡単には抜け出せません。
「この若いチームにもう1~2枚ベテランが加わると、本当にバランスがとれるのではないだろうか?」
「勢いがなくなったときでも、長い低迷期に入る可能性は減るのではないのだろうか?」
そんなことを自身が当時考えながらベイスターズを分析していた…かどうかは今となっては定かではありませんが、翌年の結果を考えるとこういう考えは強ち間違ってもいなかったのかなと感じます。2016年のカープが黒田と新井に引っ張られたことを見るとなおさらそう思えてきます。
このチームの土台を作り上げてくれたのは…色々ご意見はあると思いつつも、やはり大矢さんなのかなと。
谷繁という頼れる司令塔、扇の要を作り上げてくれたこと。
これが投手陣のレベルアップにつながったことは否定出来ない現実です。
9/3のゲームで、連敗濃厚となった中断時。グラウンドに投げ入れられたメガホンを黙って拾ったベイスターズナイン。
ベイスターズファンはその光景を見て、次の試合でお詫びをしたわけですが、優勝が手に届くかもしれないという夢を見せられた以上、どうしてもファンの感情が抑えられなくなってしまうのは致し方のないことです。
繰り返しになりますが、この一件を含め97年は選手にとってもファンにとっても大きく成長できた1年。
今ではそう思えるようになりました。
【1997年】マシンガン打線も投手陣も整った!後は経験値を活かすだけ!
71勝63敗0分 勝率.530 【順位】2位
規定打席到達7名(首位打者 鈴木尚.335 2位 ローズ.328 5位 石井琢.319 7位 駒田.308)
規定投球回数到達3名(最多勝率 三浦.769)
最優秀中継投手 島田直
そして最優秀救援投手の大魔神・佐々木は3勝0敗38セーブ 防御率0.90
これだけ見たらもう優勝でしょう!(笑)
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