心友 【其の九・目】

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クロイワは受験を諦め、いつしか勤め人になっていた。

時折彼から送られてくる便箋も封筒も、その勤め先のものになっていた。

具体的にどういう仕事をしていたのかという詳細は把握していないが、便箋に記載された「AM4:00」という時刻から見ると、24時間体制の仕事で交代制なのだろうということだけは理解できた。

表面上はチャラチャラしているが、根は真面目な男なので仕事はきちんとこなしていたはずだ。このままコツコツやっていけば順風満帆な生活が送れることだろう。手紙を読みながらそんなことを考えていた。


いつのことだったかは全く記憶に無いのだが、何かしらの用がありそのついでにクロイワが自分の家を訪ねてきたことがあった。

相変わらずのバカ話をしていたであろうことは想像に難くない。ただ、その時のクロイワはどうも目の焦点が合っていないというか、若干斜視が入っているような感じだった。

実際そのことについて話をしてみると、どうも物がつかみにくい時があるというのだ。

「目が悪くなるというのはなかなか大変なことなのだな。」

なまじ目だけはいいヒロユキはそのぐらいにしか感じていなかったが、これは単なる兆しでしかなかったことを後々知ることになる。


当時はまだネット社会と呼べる時代ではない。今でこそそんな話を耳にすれば色々とネットで調べることもできるが、一家に一台PCがあるわけでもない。会社や学校にPCがあってもワープロから置き換わったというだけの代物でしかない。自身もゼミの卒論をワープロで作った記憶があるぐらいだ。

斜視、物がつかみにくい…今ならたったそれだけの言葉で色々な情報を手にすることができる。

時代のせいにしてはならないことは百も承知だが、辞書レベルでは追いつかない情報を得ようとする行動が今のように日常的なものになっていなかったのは確かだ。

また、お互い若いということもあってか、「疲れからきている一時的な目の病気なのだろう」くらいに楽観視していたというのも間違っていない。


今手元に残っているクロイワからの封書は、平成7年の消印が捺されているものが一番新しいものになる。ちょうど年男だ。そして前厄でもある。

厄年などという風習は世界的なものじゃないのだから別にどうってことないと言う人もいる。実際そんなものかもしれない。

だが、後から振り返ってみて「あの時厄年だったなぁ」と考えると、色々起こった災難を厄年のせいにしてしまうのはとても都合がよいことなのだ。

もっともこのクロイワの件については、厄年のせいにするぐらいでは到底済まない話。彼は翌年入院・手術ということになった。

脳の病に侵されていたのだ。



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