占いを実行して、占いの意味を知る 【行動】

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通常、整体師や美容師や調理師などが独立をし、自分でお店を始めるときには、以前勤めていた所のお客さんを連れて行かないことが暗黙のルールとしてある。それをするのは恩知らずというものだ。自分を育ててくれたお店に恩を仇で返す行為とみなされる。

しかし今回の私の場合、勤めていたお店が閉店となってしまった。

お客さんは行き場をなくした。私は躊躇なく、閉店から一月半が経っていたが、担当していたお客さんみんなに案内の手紙を書いた。

去年1年、散々ポスティングやチラシ配りをしたおかげで、開業時には一切これらをやらなかったのに、連日満員御礼となった。前のお店で指名をしてくれていたお客さんがそのまま移動したようなものだった。

この街に来て、ここで出会ったお客さんから本当に沢山祝ってもらえた。

足を運んで予約をくれるだけでなく、開店祝いよ、と言って大きな素敵な鏡を持ってきてくれた人も居たし、花やケーキや沢山の気持ちが届いた。場所が決まる前、アパート経営をしているお客さんが、自分のところの部屋を使ってくれないか、と言ってくれたこともあった。場所が指定範囲から外れていたのもあって、お断りさせてもらったのだが、

自分の所の物件は変な人に貸したくないのよ。

先生が使ってくれるなら大歓迎なんだけどな、と言ってもらえた。

それだけで、本当に嬉しかった。

ケーキを持って来店してくれたお客さんの中に、私の自宅の向かいの料理屋で板前をしている人がいた。この人は翌年の元旦に、私の夫となった。

私は結婚しないのかもな、と思っていたのに元町に越してきたお陰で出会った人だった。

 

魔女の宅急便、を地で行くとこんな感じなのかもしれない。

私はこの2年、何度もこのDVDを見た。

 

藤沢から元町に引っ越して、決して楽な道ではなかったが、得たものは大きかった。

『磨かれて玉になる』

まさにその通りだった。困難ばかりだったが、決してどれも無駄にはならなかった。

ゴツゴツしていた私はあちらこちらで磨いてもらい、気が付けば玉の様に丸くなっていた。

余分なものを削ぎ落として、芯だけになったような気がする。

それは現在もまだ続いているように思う。

元町とは言え、河沿いの通りにお店を開いた。ここは元町の中でも裏と呼ばれる場所で、不法投棄も多く、花壇の植物もジャングルの様に茂っていた。

私はそこをコツコツと片づけ、花を植え、伸びた枝を伐採し、落ち葉を掃いた。

普通であれば、わざわざ3階から降りてきて、変な人、と感じるだろう。

しかしなぜか、通りの多くの人の目に触れ、通りでお店を出している人たちが出てきて、一緒に片づけてくれるようになり、更には土木事務所まで出てきて伐採した枝やゴミを撤去してくれ、通りの会の会費から苗代が出るようになり、ついには煉瓦で囲った花壇まで作ってしまった。この場所は横浜市の土地であるにもかかわらず、管理してくれるならばとハマロードサポーターから資材の提供も受けている。花の咲いた通りから、河が見渡せるようになって、運河パレードもやってきた。それに合わせて河岸テラスというイベントも開催するようになった。

通りは1丁目から5丁目まであり、まだまだ先は長い。

花壇がきれいになったからと言って、お客さんが増えるわけではないが、それでも綺麗になった通りは気持ちがよかった。通りかかる人たちに、「花が咲いているって、いいわよね」と微笑んでもらえることが、嬉しかった。

そして1人でお店をやっていると思っていたが、いつの間にか沢山の商店街の仲間ができた。

 

なぜか、ではない。

もういい加減よくわかった。

 

この場所で開業して、9年が過ぎようとしている。

こんなに長くできるとも思っていなかったし、ずっと満員御礼というわけでもない。

10年来のお客さんもいるし、亡くなった方もいる。場所柄、外国人の方も多く来店していた時期もあったが、東日本大震災を境にほとんどが日本を離れた。

営業期間が長くなれば、お客さんの環境も変わり、結婚・出産・転居などで通えなくなってくる人もでてくる。また逆に、来店し始めたころは中学生だった娘さんが、気付けば社会人になっていて、親子2代で通ってくれるようにもなった。

末期癌だとわかった母を自宅によんで在宅看取りをする際「介護休暇をいただきます」と言って2ヶ月近くお店を閉めたこともあった。営業再開後は沢山の供物が届き、もう一度、私に仕事を始める活力を与えてくれた。本当に、元町に越してきてから、色々なことが起きた。移り変わりの激しい商店街でこれまでやって来られたのは、自分の努力だけではないと確かに感じるものがあった。運がいい、という言い方もある。でも私は、運が良くなるように動いた、と思っている。努力が実る時期と場所を教えてもらって、満身の力をふりしぼることができたのだ。

 

私がせっせと生きていたこの9年の間に、ドラえもんが亡くなった。

ドラえもんが脳梗塞を起こした、と知ったときに私は独学で九星気学を学び始めた。

もう尻を叩いてくれる人が、相談できる相手が、いなくなる。

自分で学ばなければ、と思ったからだ。

色々な本を読み、ネットも見、実践もしてみた。

自分が何をしたのか、引っ越しで自分に何が起きていたのかを知りたかった。

学んでみて、解った。

生活の場を変えることで様々な変化が起きることが、占術のデータとしてあることも知った。それも10年20年という検証データではない。何千年だ。

そして、言われた通りに引っ越したし、これで安心、と言うものではなかった。そこから行動する事が大事だということが、よく解った。

多くの人は、もちろん当初の私も、占いに対して受け身でいると思う。

何か言われて、当たってる、当たってない、と言っておしまい。

しかし占いとは、そうではなかった。

 

私に占いを紹介してくれた高校時代の友人は、専門学校に進学する際に実家を出ていた。卒業と同時に実家に戻ってきた時期と方位が悪かったことが、私でもわかるようになった。

彼女はそのまま実家で10年過ごしていた。勤め先が次々に閉店や倒産したのも、今では意味が解る。そしてその10年を取り戻すのに、さらに10年かかった。ようやく最近彼女は、やりたい道が見えてきてそこに進むべく努力をしている。きっとそれが報われる日が、近いうちにやってくると思う。途中彼女は、自分には効果が出ない、と嘆いていたが、私から見ればジワジワと変化していっていた。長かったかもしれない。でもあの時、彼女が一歩踏み出さなかったら、もしかして今、彼女は生きていなかったかもしれない。

最初に彼女がドラえもんに会いに行ったとき、

5~6回、引っ越しをすることになりますよ

と言われていた。

 

占ってもらった、これで何もかも良くなるんだ、すぐに良くなるんだ、

そうではない。そうではなかった。

 

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