ついに完結!急展開の最終話:ひとり結婚式から一年後!まさかのふたり結婚式!
ひとり結婚式から1年余り経った頃。
なんと、ふたりで結婚することになった。
本当にちゃんと結婚しました
「ふたりで結婚する」という言葉は「頭痛が痛い」のように間違った日本語なはずだけれども、ひとり結婚式を知る周囲の人々に結婚の報告をすると必ず「またひとりで?」と訊かれるので「ふたりで」と付け加えなければならない羽目になった。
あるいは「こいつなに言い出すんだ」「またろくでもないことをやるつもりだろう」と苦い顔をされたり「もうしたでしょ」と認知症のご老人に諭すような口調でからかわれたりなど、なかなかまともに取り合ってもらえなかった。
心配の声も多かった。「旦那さんになる人は同棲失敗をネットに書いていることやひとり結婚式を知っているのか」
ちゃんと知っているのでご安心ください。面白がってくれており、同棲に関しては「ゴミ屋敷に住んでる人ってたまにいるよね」ひとり結婚式に関しては「特にケーキ入刀がカッコ良かった」とコメントをもらった。なかなか淡々とした変わり者だ。
結婚への執着と葛藤
「なんでそんなに結婚したいのか」
結婚願望が異常に強かったために数々の同棲を繰り返し、ついにはひとり結婚式を行うことになったのだ。滑稽なまでに結婚に拘る私に、老若男女さまざまなタイプの人々から幾度と無く浴びせられた言葉だった。しかし今となっては、その質問に真面目に答える必要なんて全く無かったのだのだと理解した。
「結婚はゴールではないんだよ」「結婚したからといって幸せになれるとは限らない」「すぐ離婚する人だっているんだから」
どれも正論かもしれないが、それを口にする人は、ただそうやってただアドバイスがしたかっただけなのだ。
それらを口にする人たちは、もし逆に「結婚するつもりはありません」と言おうものならきっと「将来が不安じゃないの?」「子供っていいもんよ」と結婚の良さについてとつとつと語ったのだろうと思う。
あれは単なる会話のテンプレートだったのだ。
「ほんま暑いですなぁ」「えぇ、京都は盆地ですからねぇ」
当人でなければ、人の悩みなど天気の話と大差ない。本当に親身になって、私の過去・現在の人間性を知った上で、これからの未来のあり方について、責任ある発言をしてくれた人なんていなかった。
そんな天気の話題のような問いかけを、すべていちいち真に受け「自分は本当に結婚したいのだろうか」「そもそも結婚とはなんなのか」「なぜ私は結婚できないのだろうか」「私は何かがおかしいのかもしれない」と酒に酔う度に木屋町で流した涙は、疎水の流れをさかのぼり、琵琶湖の水面を10cmは上昇させたという。
世間話を真に受けて涙を流していた私は純真だった、ということろでとりあえずの話は片が付くのだが、思い返してフツフツと腸が煮えくり返るのは、マウンティング系世間話おばさんと同様の発言をした同年代の男ども(当然のことながら同棲黒歴史も含む)だ。あいつらは罪深い。罪状、時間泥棒。
30代も半ばにさしかかった現在、時間とはお金以上に大切なものだとしみじみ感じている。
お金はあとからなんとでもなるが、時間は泣きわめいたってサンドバックに当たり散らしたってどうにもならん。時間の大切さに気がついてから西院の立ち飲み屋で流した涙はアスファルトを伝って桂川まで染み渡り、真夏の太陽によってむんむんと熱を帯びて蒸発し、ゲリラ豪雨となって京都中に降り注いだという。
つまり20代~30代男性の「なんでそんなに結婚したいの?」発言の真意は「俺はヤりたいだけなのに、なんでそんなめんどくさいこと言うの?」だったのだ。なるほどガッテン。お互いに無益な時間を過ごしたのだ。カジュアルに楽しい時間を過ごしたい男性VS想像以上にヘビーな話を持ってくるアラサー女性。試合は泥沼化し、双方勝ち点ゼロ。アラサー女性陣営には負傷者が続出し、次の試合の欠場が決まった。
私の20代後半から30代の始めは戦を欠場し、自宅で英気を養ってばかりだった。「どうせ嫌なことを言われるから人に会いたくない」が口癖だった。自宅で養っていたのは英気ではなく、世間に対する呪いだった。氷結ストロングロング缶を飲みながらじゃがりこをボリボリかじりつつ2ちゃんねるを見てはいけなかった。よけいに外に出る気が失せた。
「いでよ!こんな姿を見ても求婚してくれる王子様!できれば身長175cm以上でマッチョタイプ!でも体育会系は暑苦しくて嫌!だけどインテリのめんどくさい感じももっと嫌なのでバランスタイプ!年上希望!犬好きは必須!私のことを好きになってくれる常識人!意地でも外に出たくないので、自宅に突然現れろ!」
現れた。結婚した。それが今の夫です。
その頃私は古びた町家のカオスなシェアハウスに住んでいた。やさぐれて二日酔いの状態で(たぶん2〜3日風呂にも入っていなかったと思う)リビングのコタツで寝ていると突然ガラリと玄関の扉が空いた。
そこにはチェーンソーや電動ドライバーを持った男がノッソリと立っていた。咄嗟に強盗かと思い、悲鳴をあげた。きっとあれが運命だったのだろう。
強盗風の男は、実は工務店の人で、のちにボロボロの町家を修繕してくれることになった。作業を手伝っているうちに恋が芽生え、愛に発展し、まぁそういうことになった。
地元の神社でちいさな挙式
ふたり結婚式は夫の地元の神社で身近な親族のみを招いて行った。ドレスは一度着て満足したので和装にした。
あ、どうもありがとうございます。いえいえ、未熟な2人ですが見守ってください。
付き合いはじめてから、1年経たずのスピード挙式。
まだ夫と付き合う前だった去年の今頃は「自分なんて中古で三十路の粗大ごみ。社会不適合者で誰からも必要とされない。もう自分が末代や。ご先祖様ごめんなさい」と泣いて荒れてやさぐれていたところに、これが噂のトントン拍子か!という感じで結婚だった。今までの苦労はなんだったのだろうか。
特に双方の両親が「うちの子がまさかの結婚!」「気が変わらんうちに!」「さあ!早く!」と話は進み、後で笑ったけどうちの父親なんて結婚式の3日前に「そういえば夫くんて、仕事何してるんやっけ?」という発言したくらい「なんでもええから早くこの不良債権を貰ってくれ」というイケイケゴーゴーな雰囲気だった。
正直、挙式をするつもりはなかった。1回したし。満足だったから。
ところがどっこい我々は長男長女、兄弟姉妹だれも結婚しておらず両家にとって初結婚、夫家のご両親は高齢だしご不幸続きの中で降って湧いたような良い知らせ。
両親「式はどうするの?」 (す る ん で しょ)(し て)(お ね が い)
我々「あ、ハイ」
NOと言えない日本人。
うちのカーチャンはバブル期に青春時代を送った人間なので「ゴンドラ」とか「花火」とか言うてたけどそれは却下した。
しかしいざふたり結婚式をしようとネットで色々と調べると微妙な気持ちになった。
なぜなら、ひとり結婚式は自分の好き勝手やって、予算総額で3万円程度。手作りなら友人として参列した時のご祝儀の金額で挙げられたのだ。
しかし正式ルートのふたり結婚式は、とにかく全部が高いのだ。バカみたいに。
レンタル衣装30万円、着付け5万円てなんやねんと。ウエディングドレスなんて楽天で8千円で売ってるんやぞと。
式場使用料てなんやねんと。鴨川デルタなんてブルーシート敷いて青空の下ガーデン披露宴ができてタダやぞと。
「一生に一度のことだから」「憧れを叶える」「感動のセレモニー」
とか言われてもどこのブラック企業かラーメン屋かと。私のようにひねくれてると煽り文句に素直に酔えない。
申し訳ないけどフォトウエディングにしてお茶を濁すことはできないか。
というかフォトウエディングすら馬鹿みたいだ。それなら他人の結婚写真をネットで拾ってきて我々の顔をPhotoShopではめ込み合成して、それっぽいアルバム作って配ったらええんちゃうか。結婚式の写真なんてテンプレだから誰が写ってても顔以外は一緒やろう。あの人達老眼やし。まさか合成なんて思わないだろう。
とか考えて、とりあえずPhotoShopで合成するところまでは実行してみた。
思えばこれまで嫌なことからどうやって逃げるかばかりを考えてきた人生だった。
しかしですね、はしゃぐんですよ。両家両親が。あんな嬉しそうにされたらねぇ。
親の期待に応えるように育てられた根は真面目な長男長女、もう腹をくくるかと。
これは通過儀礼。大人の階段を迂回してはろくな事がない(経験済み)
もう、こうなったらとことんやり切ろうと。タスク管理、スケジュール調整、打ち合わせに、下準備。もうこれは仕事だと。
幸い私は暇なフリーランス業なので、期間限定の単発案件が入ったと思うことにした。クライアント(親)に満足してもらえる良い仕事をしようと。
ふたり結婚式で得た学び
結果、やってすごく良かったのだった。
なにが良かったかというと
・準備を進める中で両家両親との協力関係ができた
・一般的な結婚式というものがどいういうものなのかを経験できた
・高い料金にも理由があるなぁと思った
・結婚系の広告を見ても気分が悪くならなくなった
・芸能人の結婚報道や知らない人の結婚しました投稿を素直にヨカッタねと流せるようになった
・大人の階段のぼった
・普通に幸せで楽しかった
・夫がかっこよかった(のろけ)
両親との関係について
式の準備は両家の両親とこまめに連絡を取り合ってかなり協力してもらった。特に夫側のご両親は、私が気が付かないところまで細かくフォローして頂いてとても助った。人は共同作業の中で関係が育まれるのだなぁと感じた。こんなことなら学生時代の文化祭とか体育祭とか、もっと前のめりに参加していれば同級生たちと深い友情が築けたのかもしれない。
披露宴で上映するスライドショーを作るにあたっては、小さいころの写真を送ってもらったりなどし、親たちも昔の写真を改めて見る期会ができてなんか楽しそうだった。こういう期会でもないと改めて昔の写真を見ることは無いし、ちょっと盛り上がった。
高額な料金への不信感の払拭
式場や美容スタッフの方々にも大変よくして頂いて、当日は花嫁の私ひとりに5人も常につきっきりの万全体制(白無垢は自由に動けないから)わたしひとりで支度から式後まで7時間×5人の拘束だとそら人件費だけでも高いわと。それに会場のセッティングから料理やお花の発注もそら原価+αになるわなぁと。プロの方の素晴らしい仕事のおかげで良い式を挙げることができたと感謝しております。
結婚系広告や投稿への拒絶反応が無くなった
これはただの私のコンプレックスだったのだけど、憑き物が落ちたように、婚活系やスマ婚系広告、芸能人結婚、知らない人の結婚投稿を見てもなんとも思わなくなった。
今までは蓮コラを見たくらい気分が悪くなっていたので、こんなに楽になれるのかとびっくりしている。
のろけ
入籍して以来、会う人会う人に「おめでとう」と言って頂く。誕生日はその日限りしか言われることはないので、数ヶ月に渡ってこれほど多くの方々に祝福されたのは生まれて初めての経験だった。これまで「こんな出来損ないがのうのうと生きていて申し訳ない」と感じながら、恥の多い人生だった。
こんな私を受け入れてくれ「一生一緒に居てくれやー」と言う、奇特で懐のデカイ、優しくて穏やかで面白い人が存在するこの世界も悪く無いなぁと思った。あと夫の袴姿と誓いの言葉がカッコ良かった。
これまで何度も同棲を繰り返していたのは、単純に人と一緒に生活をするのが好きだったからだ。
そして強く結婚を望んでいたのは、一緒に暮らす人と共に歳を重ねていきたかったからだ。
この先もきっと何か問題が待ち受けているような気がするが、それでもこの夫と一緒に人生を歩んでいけることが、ひとまず決まった。そしてそれを周囲に認められ、祝福されている。このことがなによりも嬉しかった。
そして名字が変わった。新たな人生のスタートだ
長かった物語をこうして振り返ってみると、どうやら私は「自分で痛い目をみてみないとわからない」タイプなようだ。自分がそうしたいならどんな手をつかってでも実現したい。素直に周囲の助言や先人たちの言葉を受け入れていれば、もう少しすんなりと人生が進んでいたかもしれない。
ひとり結婚式をした時に、ある素敵な女性から、手描きのメッセージをもらった。
「これからも、mamitaのオリジナルな人生を、楽しく歩んでください」
なにかと大変なことになりがちな自分の人生も、そう悪くはないのだろうか。
ところで眉唾物の話だが、手相を見れるという人に結婚運を占ってもらったところ
「1回目の結婚線は薄いし短いけど、2回目は上手くいく」
とありがたいお言葉を頂いた。1回目を済ませておいてよかった。ひとり結婚式にもちゃんと意味があったようだ。人生において、経験に無駄はないのかもしれない。
正直なところ、同棲していた男たちに憎しみの感情が今でも強く残っている。しかし私がこのようにして物語を書くことができたのは、彼らの存在があってのことだ。その点には感謝している。振り返ってみれば、あれはあれで面白かったな、と思わないでもない。もう二度と会うことは無いだろうが、彼らもどこかでたくましくそれなりに生活していれば、と思う。
最後に。
実は半年前に子どもが生まれた。元気な男の子だ。
息子はこれまで出会った男性のだれよりもダメな男だ。一切の稼ぎが無いにも関わらず、一日中家でゴロゴロしていて家事など一切しない。それどころか家中を荒らし、気に入らないことがあれば癇癪を起こして泣き叫び、私の髪の毛やメガネを掴んで振り回し、かと思えば気まぐれに天使のような笑顔を見せ私の心をわしづかみにする。本当に酷い男だ。しかし、愛さずにはいられない。
息子の将来がかつての同棲相手のような男たちのようにはならないよう、しっかりと育てたいと思っている。
最後まで憎まれ口でした。おしまい。
著者のmamita .さんに人生相談を申込む
著者のmamita .さんにメッセージを送る
著者の方だけが読めます