もう男に期待はしない!ひとりで結婚すればいいじゃない!
※本記事内の写真はすべて私です
ーこれまでのあらすじー
女は困惑していた。
「お嫁さんに、私はなる!」
そんな夢を描いていた彼女の前に次々と現れる、エキセントリックな強敵たち。
繰り返される無益な争い。
これは一人の女が修羅の道へと足を踏み入れるまでの長編ストーリーである。
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結婚がしたかった。
ろくでもない同棲ばかりだったが、それぞれ全て本気で結婚したいと思っていたのだ。
相手がそれほど好きだったかと言われると、それはもう忘却の彼方。
とにかくずっと結婚というものがしてみたかった。
相手のことを好きだったのは最初の頃だけだったかもしれない。
「そんな酷い同棲生活なら結婚なんて言わずにさっさと別れろよ」と同棲黒歴史シリーズを読まれた誰もが思ったに違いない。が、そうはいかなかった。私だって「あ、コイツやべぇな」なんて事はとっくに気がついていた。
私の同棲生活は、例えるならパチンコのようなものだった。この台は出る!と狙いを定め、意気込んで座り、回し始める。思わせぶりな演出はあるものの、いっこうに玉が出ない。どんどんお金が吸い込まれていくばかりだ。しかし「もう少ししたら出る」と根拠なく信じ、回し続ける。そのうちそろそろ諦めた方がよいかもしれない」と言う気持ちになってくるも「ここまで投資したんだから」となかなかその台を離れることができないのだった。
結果、大負け。戦況を冷静に判断できず、いつかは幸福な結婚生活という大当たりが来ると信じていた。精魂尽き果て全てを吸い取られても「今度こそはいけるはずだ」とまた次の台に座る。これの繰り返しだった。そもそもギャンブルは良くない。
私の同棲黒歴史は振り返ると、二度と回収のできない「時間」を大幅に投資した大負けだった。
修羅の道への決意
そんなふうなさんざんな恥と、ろくでもない経験を長々とSTORYS.JPに書き連ね、大勢の人の目に晒すことは結構勇気のいることだった。しかし、いったん開き直ってみると、予想外に面白がってくれる人たちがいた。笑ってもらえるのか。意外なほど好評だった。調子に乗った私は、ある時、なにかが弾けた。
よし、結婚しよう。ひとりで。
相手はどうやったって見つからない。さんざん泥臭いトライをしてきたじゃないか。
どんなに(方向が間違っているかもしれないが)努力をしても「結婚ができない」。なんとかこの劣等感を払拭したかった。
人には期待しない。したいことは自分の力でしよう。
そう決意したのは29歳と6ヶ月、つまり大台の30歳まで、残り半年になった頃だった。
何を言っているのかいまいちわからないかもしれない。
とにかく、私は30歳を迎えた誕生日に、ひとりで結婚式をしたのだ。
ひとりでできるんだもん!ひとり結婚式
法的な結婚はもちろんふたりでなければできないが、ウエディングドレスを着て友人を招いた結婚式(のような催し)はひとりでもできる。
テーマは「ひとりでできるんだもん」
新郎不在のまま、友人を招いて鴨川でガーデン披露宴を行ったのだ。
あれはほんとうに楽しかった。ウエディングドレスを着ると魔法にかかったようにテンションが上がった。楽天で購入した8900円のドレスは、友人が裾直しを手伝ってくれた。鴨川の河川敷にブルーシートを敷いて、参列してくれた友人たちとお酒を飲み、木陰でお色直しをし、日本刀でケーキ入刀をした。さすがに親には言えなかったのだが、両親(不在)への手紙も読んだ。誰も欲しがらなかったが、ちゃんとブーケトスもした。怨念のブーケをGETした友人は、もちろん未だ独身である。
これがそのひとり結婚式の模様で、特設サイトはWEBデザイナーの親友と一緒に作成した。
2014年4月17日に公開したこのサイトは、公開直後からまたたくまに炎上、見た人を唖然とさせた。
「そんなのアリかよ…」
アリなのだった。
その証拠に、いくつかの取材を受けた。かの有名なビジネス雑誌AERAにも特集が組まれ、ウエディングドレス姿でボクシングのグローブをはめた写真が掲載された。さらには「ひとり結婚式を専門で取り扱う」という意味不明な業者が現れ、それがテレビで時々「密かなブーム!ソロウエディング!」と取り上げられているらしい。世も末である。
さらにはなんだかジェンダーの問題として社会的意義を見出され、海外のニュースサイトにも載ったらしい。
ちょっとしたフィーバーだった。ここでこれまでの負けを取り返す大当たりが出た。開き直ってみると人生わからないものである。
面白かったのが、ひとり結婚式に対して、男性と女性で反応が全く異なったことだった。
男性は「痛々しい。かわいそう。そこまでするか?」など否定的。女性は「すごい。やってみたい。ちょっと気持ちがわかる。勇気をもらった」など非常に肯定的だった。
やってよかったひとり結婚式
自分の心境にも変化があった。どうしようもない自分を笑い飛ばし、愉快な気持ちになることができた。
それまでの暗雲たる気持ちを、お年頃の女性には共感してもらえるかもしれない。
ネットサーフィン中に飛び込んでくる結婚式場や婚活の広告。週末がくるたびにSNSのタイムラインを流れてる結婚式の写真。それらを目にすると、私の消化器官が反射的に悲鳴をあげるようになった。そして酒の量は増え、酒で取った水分は涙になった。
周囲の「いい年なのに結婚は?」という言葉も堪えた。とにかくものすごい頻度で言われるのだ。年間100回は言われたと思う。あの時期は本当に苦しかった。おかげでストレスを糧に、ボクシングのトレーニングがますます捗った。
「私は世界中の誰からも必要とされていない、三十路で中古の粗大ゴミだ。産廃だ。」
そして虚言癖の男の放った「お前のせいだ」という言葉は「私は結婚に向いていないのではないか」あるいは「無自覚に男性のだめな部分を引き出してしまう性質があるのではないか」という自省に変わり、呪いのように私に執念深くつきまとっていた。
とにかくなんとか手を打たなければ、この先の人生を明るく生きていくことができなさそうに思えた。そして苦心の末に編み出したのが、最終奥義ひとり結婚式だった。起死回生とはこのことだ。
おかげでテロのように突然目に飛び込んでくる式場の広告には「みんな鴨川でやればタダなのに」と思えるようになり、婚活の広告は「婚活なんてしなくても結婚はひとりできるのに」と鼻で笑ってあしらえるまでになった。なにより気が済んだ。「いい年なのに結婚は?」と言ってくる人々にひとり結婚式のサイトを見せると、顔をひきつらせながらも、すんなり引き下がってくれるのだった。
「お前のせいだ」と言うならば、じゃあ私は私の責任で、ひとりで好きにさせてもらいますんで。
他人任せにはしない。「自分の運命を自分で切り開くことができたぞ」という、確かな手応えがあった。
次回ついに完結!急展開の最終話:ひとり結婚式から一年後!まさかのふたり結婚式!
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