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16/11/23

私の祖父は社長だった。

Image by Olia Gozha


子どものころ「お店屋さんごっこ」で遊んでいたら、祖父は必ずお客さん役をしてくれた。

他の大人が家事に忙しかったからかもしれないが、今思えば

「お客さんが来ないと商売が成り立たない」

ということを誰よりも分かっていた祖父は、私たち子どもにも「お店屋さんの醍醐味」を味わわせてやりたかったのだと思う。


私の祖父は社長だった。

企業向けの大型エアコンや、冷蔵棚や冷凍棚、当時は知名度の低かったソーラー設備などを扱う会社との取引が多かったと聞いている(私自身が幼かったため、記憶は曖昧である)。


祖父は、コストに対する意識が高かった。

「同じ結果を得るために、お金がかからない方法があるのなら、その方法を選ぶ」

「新しいものを次々と購入するのではなく、ふるいものが本当に使えないのかを検討する」

など、家庭全体にそういう雰囲気があった。


両親が結婚をした記念だか何だかに、性能が高めのオーディオセットを買ったそうだが、当時の製品というのは本当に長持ちする。

私の実家では今でもレコードを聞くことができる。針が折れてしまったとき、メーカーに問い合わせをしたところ

「え? レコードを、今でも聞いているのですか?」

と驚かれたことがある。

思い切った出費をしても、その価値を40年かけても償却しきれないような状態なわけだから、お金を出す価値はあったのだ、ということになる。


私が初級システムアドミニストレータの資格を取ろうと、勉強をしていた時、つまづいたことがある。それは「会社組織」というものへの理解が、学生だった私には足りないという点だ。

会社は「物を売る」だけで業務が完結するわけではない。仕入先との関係もあれば、株主との関係もあり、さらに社内で様々な部署があってその間の調整も行わなければならない。

そんな基本的なことを、頭でいちいち考えなければならない点に、もっとも苦労した。社会人の人を尊敬したし、これらすべてを担ってきた経営者たる祖父のことも、改めて考えるようになった。


やがて祖父は、天国へと旅立った。

経営者としてだけではなく、闘病の過程においても、私の心にいろいろなものを残してくれた。

祖父の大動脈瘤や、結核などの病気について知るうちに、もっともっと勉強したいという思いが募り、その勉強のいくつかが資格を取るとか、放送大学できちんと学ぶということにもつながってきた。


やがて私は、フリーライターという祖父母の世代からみればわけのわからない仕事についた。

「経営者」という点で、祖父との共通点ができたのは、少しうれしかった。


そして近年、ライターとしての行き詰まりを感じるできごとがあり、

「売るべきモノを持っていないことの怖さ」

「取引先も下請け業者であること(私は孫請け)の怖さ」

をひしひしと感じた。


なんとか解決策はないかと探っていると、神様は答えを用意してくれるもので、

「情報を右から左に流すだけではなく、モノを売る・技術を売る」

という方法を考えていくべき時期なんだなと感じさせてくれる人との出会いがあった。


私は将来のことを見据えながら、少しずつ「物を売る」ことの経験を積み始めている。

「この商品は売れそうかどうか? それとも自分が好きだから関わりたいだけなのか?」

「値付けをするとしたら、何を基準にするのか?」

「顧客となる人は誰なのか?」

これを短時間で判断する勉強を積みながら、近いうちに古物営業の許可も取得しておいたほうがいいかなと思っている。


祖父の時代とはモノの流れも、消費者の考えも違ってきている。

でも、私の中で祖父の姿は、1つのモデルとして息づいている。


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