11月の1話 日本出発は快晴!

前話: フランス語も分からないけどフランス留学に飛び込んだ結果、一年間で何が起こったかをノンフィクションでまとめた話
次話: 11月の2話 パリでまずピンチ


 私は旅立ちの日には快晴になることが多いようだ。


日記によると、日本出発のお天気は快晴だったらしい。1年間の留学期間を終えてブレストを離れるときも、とても美しい快晴だった。まるで日本からは、「行ってらっしゃい! 頑張っておいで。 」、と見送られているような、フランスからは、「お疲れ様! よく頑張ったね。 」と労ってもらっているような、そんな気分になったのは、やはり私の精神状態も影響しているだろう。ブレストからパリへの電車の車窓から見た、空の濃い水色、丘と森林の清々しいの緑色の景色を今でもよく思い出せる。


 1年前の11月、私は1年間のフランス留学の機会を得て、フランスへ旅立った。大学の研究者海外派遣プロジェクトに応募して、採択してもらうことが出来たからだ。


 実はフランス留学はこれが初めてではなく、前の年の11月からこの年の4月まで、有難い縁があって、フランス某研究所の某センターで招聘研究員として御世話になっていた。半年間フランスで生活し、言語の通じない生活の寂しさ、そして国立研究所の研究のクオリティの高さを垣間見た私は、先に述べたプロジェクトへの応募締切の3週間前まで迷った末に再留学を決意。そこから、既に目星を付けてあった同研究所の先生にコンタクトを取って、受け入れてもらえるようお願いした。大急ぎで研究計画書などを整え、締切ギリギリで応募。6月まではその選考結果が分からなかったが、実績があったことが幸いしたか、採択してもらうことが出来た。

 採択された後は、学校が課した英語などの研修に参加したり、必要な書類を提出したり、ビザの発給に必要な手続きをこなしたりしてバタバタと過ごした。それに加えて、日本を長期で離れるに辺り、例えば銀行やクレジットカード会社に住所変更の届けをしたり、役所で転出の届けをしたりもした。年金や健康保険、住民税のことなどインターネットで情報を集めて勉強した。手持ちのクレジットカードで現地通貨がどのくらいの手数料で引き出せるのか、など、生活に根ざした問題も調べて対策を考えておかなければならなかった。生活する国を変える、というのは、それだけでもとても大変なことだった。色々な準備、慣れない手続きは大変ではあったが、知らなかった知識が沢山ついて、世界が拡がったかな、と思う。


 フランスでの住居は、出発直前にやっと決まった。学生用の寮に住めるらしい。フランスで指導してくださる教官が、私に代わって寮とのやり取りを進めてくださっていたのだ。


 日本出発の前日は、研究室の方々に壮行会を開いていただいた。思いがけずお花などいただいて、有難かった。壮行会に参加しながらも、明日の朝6時台に家を出るので荷造りは全部終えておいて、後は洗面セットだけにしておかなければ、とか、この期に及んで、買い忘れたお土産は無いか、とか、フランスは寒いので、暖かくて嵩張らない服をもう少し買っていった方がいいのか、とか心配をしていた。

 飛行機で持っていける荷物制限の中で、お土産、専門書、防寒着のやりくりは結構難しい。日本語で書かれた専門書は、外せない上に重い。御世話になる方々へのお土産も、つい外したくなるが、実は絶対に外さない方がいいところだ。防寒着は、もしもフランスで買おうとした時に、とてつもなく高価だったら困る。そのようなことを考えていると、あれもこれも持って行った方が良いように思えて、心配は尽きなかった。


 当日は、まずは、何事もなく、滞りなく、日本出国、イギリスでのトランジット、フランス到着、パリので一泊、ブレストまで飛行機で行き、受け入れ先の先生に会うところまで辿り着けることを祈って飛行機に乗った。行き先は言葉が通じず、システムも日本と異なる。思い通りに行かないこと、アクシデントなどが「日常的に」起こるのが異国だ。


続きのストーリーはこちら!

11月の2話 パリでまずピンチ

著者のakiuさんにメッセージを送る

メッセージを送る

著者の方だけが読めます

みんなの読んで良かった!

STORYS.JPは、人生のヒントが得られる ライフストーリー共有プラットホームです。